風に吹かれて 雲に誘われて

 

坂本龍馬脱藩道マラニック


2009年3月8日



5月に参加する萩往還250キロマラニックの練習にと思って参加しました。高知県在住のウルトラランナー細川さん主催で10人限定の小さなそして家族的なマラニック大会です。マラニックと言ってもさすがにウルトラランナーが企画するだけあって1日目85キロ、2日目50キロというハードなコースでした。しかも2日目はほとんどが山道で途中コンビニ無し自販機無しトイレ無しといったもので細川さんの車での全面サポートがなかったらおそらく走ることは出来なかったと思います。


 3月19日のお昼に高速バスで大阪を出発して、午後5時に高知に着きました。すぐホテルにチェックインしてからしばらく市内を観光しました。まずは「はりまや橋」に行ってみました。数十年前に一度訪れたことがあるのですがその時は日本3大ガッカリと呼ばれていたくらい「何だこりゃ?」と思ったのですが今は川もしっかり再現されていてその変貌に驚きました。





 それからぶらぶらと高知城まで歩き天守閣を見ながら南国名物の「アイスクリン」を食べました。アイスクリンとはアイスクリームのコーンカップに入ったたシャーベットでさっぱりしてなかなか美味しいです。お城では桜がほぼ満開でしたね。お城から明日のスタート地点である「坂本龍馬生誕地」に行ってみました。そこからホテルに帰って今日行われる密会の場所に急ぎました。



第一部 密会

 指定された密会の場所猟師料理「明神丸」に到着してみるとまだ明日脱藩するメンバーは来ていませんでした。
待つこと数分で顔見知りのすずやんさんを始め5名のメンバーがやって来られました。あとの方々は始めての人達で、川崎からこられたえのさん、所沢からのえぐちさん、お田鶴さん、香川からの藤原さんと紹介して頂きました。本当は10名の脱藩予定だったらしいのですがキャンセルで今回脱藩するのは6名になったそうです。
そして最後に主催者でありこの脱藩を全面的にサポートして頂ける細川さんがやって来られました。そこから本来ならば密会なので密かに行うべき所なぜか大いに盛り上がり楽しい宴会を過ごすことが出来ました。鰹の塩たたき、ウツボのたたき、塩辛、ハランボ等々大変美味しい思いをした密会でした。
しかし、私には心から酔えない重大な発表がありました。と、言うよりも私の思い違いを指摘されたのでした。
この脱藩マラニックは例年龍馬生誕地で集合してから20キロほど車で送って頂きそこからスタートするので梼原まで70キロなのですが今年はなぜかフル脱藩という事で最初の20キロもしっかりと走るそうです。すると初日は何と90キロにもなりますね。
練習をほとんどしていない状態で100キロマラソンに参加するようなものです。
2日目は私は勝手に平地を70キロと思いこんでいたのですが、50キロ少々だそうです。ホットするのもつかの間、道は最初の10数キロを覗いてほぼトレイルランだそうです。これまた練習をほとんどしていない状態で「六甲全山縦走」を走るようなものです。
しかも2日続きで・・・。
 その事実を知って俄然として私の顔色は真っ青になっていたはずです。しかし、共に脱藩するメンバーは平然としていました。
「レベルが違いすぎる!」その事でもお先真っ暗でした。
そして案の定みんなの足を引っ張りまくる結果となってしまいました。



第二部 梼原への道

午前6時に平成の龍馬達6名が坂本龍馬生誕地に集まりました。
やがて案内人の細川さんがワンボックスカーでやって来て荷物を車に積んでから写真を撮っていよいよスタートです。空は曇り、そして予報では午後から雨どうなる事やらです。
 道案内はこのマラソンを何回も走られている藤原さんです。藤原さんはさすがによく走られているだけあって色々と詳しく説明して下さいました。
今回は経験者はすずやんさん、お田鶴さんの3人でえのさんとえぐちさんと私は初参加です。すずやんさんとは今までしまなみ海道、四万十川、そして去年のUMMLマラニック高野山の3回お会いしていますが一緒に走るのは初めてです。
お田鶴さんは今回ただ一人の女性でこのコース中ずっとすずやんさんと一緒に軽快に走っておられました。えのさんは大学に先生らしく見た目にも学者さんランナーという印象でした。(どんな印象やねん?笑)。えぐちさんはロードよりも山道の方が得意だと言われていたのですが、ロードでもなかなかの粘りをみせるランナーです。そして山では凄く強い走りをされていました。伺ってみるとランナーであり山屋さんでもあるそうです。
藤原さんとすずやんさんが先頭で私はいつでも脱落出来るように最後尾を行きました。 





 ここからすぐに南下して鏡川に出て川沿いに走り橋を通って鏡川を渡り南下しました。途中から住宅地に入ってやがて鳥居に出ます。鳥居から急な石段を登った所が和霊神社です。この神社は坂本家の本家である才谷屋の守護神だったそうです。
文久2(1862)年3月23日、脱藩の決意を固めた龍馬は、酒をもって花見にとこの和霊神社に詣で、武運長久を祈願したと云われています。







さてそのご本尊ですが思っていたよりもずっと小さな神社でした。ここで今回の脱藩の成功を祈願しました。
そこからしばらくは車道を走りました。路面電車の通っている道を走りやがて朝倉駅前に着きました。駅から少し離れた踏切を越えてしばらく行くと伊野ICの前を通りすぎた所にサポートの細川さんが待っていてくれました。しらく給水と補食して休憩でしました。




 この脱藩マラニックは細川さんによって給水と食事、道案内とフルサポートです。
バナナを食べて力をつけて出発です。伊野駅前を通り仁淀川を渡りしばらく走るとスタートから20キロです。
例年ならここまで車で送ってもらってここからスタートだそうです。
「だから気分を新たにここからスタートと思いましょう。」と言われても20キロ走ってきた疲れがどっと残っています。あと70キロ気分はどんよりと曇る空と同じです。



 藤原さんに「ここからが本当の脱藩道なので楽しめますよ。」と言って頂きました。

日高村を過ぎて佐川町に入った所でしばらく休憩していると猫が近寄ってきました。しかし誰になつくわけでもなくウロウロしていました。しばらく猫を追いかけたりして面白かったです。




 佐川町を抜ける頃になるとなぜか藤原さんが体調不良を訴えだしました。やがて無理しないようにサポートカーに乗ってしまいました。
 ここからは5人旅です。コースを一番良く知っている藤原さんがいなくなって心配でしたがすずややんさんもかなり詳しくここからはすずやんさんとお田鶴さんに引張ってもらいました。しかし、この2人ペースがかなり速いのです。

斗賀野からいよいよ本日のメインイベントである朽木峠の道へと登って行きました。途中から元気を取り戻した藤原さんも再戦です。
 ここは観光ガイドでもよく紹介されている所です。どこまでも続く山道をあえぎながら上って行くとやがて関所の跡が見えてきました。やっとの思いでたどり着くと先に到着していた藤原さんがお酒の入ったコップを差しでしてくれました。コップ1/4ほどのお酒を一気に飲み干すと体がかっと熱くなりましたね。









 朽木峠を下って行くと地元の人が数人いてしばらく話しをしました。実は明日ここで脱藩ウォーキングがあってここでは村中あげてボランティアをされているそうです。自分たちが今朝、高知から走ってきたと言ったらビックリされていましたね。さらにここから今日中に梼原まで行くと言ったらさらに驚かれていました。

走っていく途中に「龍馬脱藩道休憩所」という物があって「おまんらちくっと休んで行きや」と書かれていました。お言葉に甘えて少し休ませて頂きました。休憩所の中では木の板に記名出来るようになっていたので

「風来坊」と記名しておきました。




 そこからしばらく走った所でやっとお昼です。細田さんが用意して頂いた物はおむすびと玉子焼、鰹のタタキそれに当然ビールです。お米も玉子焼もタタキも最高に美味しかったです。そしてビールも美味しすぎてついついロング缶1本は飲んでしまいました。まだまだ先は長いと言うのに・・・。





 お腹を膨らませて走っていくと「葉山の蔵」に着きました。ここでトイレ休憩です。

「葉山の蔵」は昔は酒蔵で今はイベント文化ホールになっています。軒下で風車が回っていたのですがよく見ると空き缶で作られていました。なかなかな物でした。


 

 

 藤原さんはまたしてもここからワープです。どうもあんまり体調が良くないようですね。

ここから梼原街道と呼ばれる国道197号を走って行き、やがて国道と別れて並行して行く道を走っていくと白石小学校で着きました。古くていかにも伝統のありそうな学舎だったのですが、聞いてみるとこの小学校は明日で廃校になるそうです。何だか感慨深いものがありました。



 
 道はいつまでも登っています。やはり私の実力ではみんなに着いていくのは辛くなりペースを落としてマイペースで走る事にしました。それにしてもどこまで坂道だろうか?
もしかしたら萩往還250キロの千畳敷よりも長いかも知れないと感じましたね。でも練習不足の割に遅いペースだとはいいながら走り続けられている自分に驚きました。

 やがて途中で藤原さんが待っていてくれました。どうやら体調が回復されたそうなのでこの後の道を案内して頂けるそうです。皆さんはとっくの先だとか。本当に申しわけありませんね。
 しばらく行くと突然、茶畑の中を行くので驚いて聞いてみるとかなりショートカット出来るそうです。


                      

 やがて将監神社に出て国道に出ました。ここにサポートカーが待っていてくれたのでビールをコップ2杯頂きガソリンを入れて気合いをいれなおして走りました。
しばらく行くと四万十川に出会い四万十川の上流に来られたことになぜか感動しました。橋の向こうに有名なミネラルウォータ「四万十川の水」の工場が見えました。







 それからは梼原街道をひたすら走ったのですが、空の具合が段々と怪しくなってきました。やがて雷が鳴りだしあっと言う間に豪雨になってしまいました。道は登り道が続きます。一緒に走ってくれている藤原さんが頻りにサポートカーによるワープを誘ってきます。しかし梼原までは走りたかった私は我儘を通して頂きずぶ濡れになりながら走りました。体調の今ひとつの藤原さんに無理を言って申し訳なかったです。


 残り10キロ程になったときには歩道がなくなりあたりもまっ暗になってきました。サポートカーから懐中電灯を借りていたのですが電池を節約するために対向車が来た時と足元が怪しい時にだけ点灯させました。雷が鳴った時だけ辺りが不気味に照らされます。もう冷や冷やです。しかし怖さのためか順調なペースでは走っていました。たぶん一刻も早くゴールしたかったのでしょうね。
 

 3つ目のトンネルを抜けてしばらく下り道を走ると今日のゴートである梼原の「雲の上のホテル」に到着しました。ここまでGPSで85キロ約14時間でした。しかし気分的には100キロを越えているように感じられました。
 ここの温泉で冷えきった身体を温めて全員でサポートカーに乗せて頂き近くの旅館まで行きました。しばらくはひっくり返って寝ていたい気分だったのですが、時間も遅いので直ぐに食事になりました。乾杯をして少しずつビールを飲んでいると少しずつ回復してきました。
しかしメニューは鰹のタタキとか里芋の煮物、等々色々と美味しそうな物があったのですが食欲はなかなか出てきませんでしたね。

 ここまで走り切れた嬉しさの反面、明日はまだ50キロ以上ありそれもほとんどがトレイルになると聞くとこの疲労した状態で本当に大丈夫だろうかという不安がよぎるのでした。




第三部 脱藩成功?

 朝になると夜中の雷雨が嘘のように収まっていました。昨夜85キロも走ったというのに不思議と筋肉痛はありませんでした。でも、55キロという今日の道程はすごく不安でした。
朝からボリューム一杯の朝食を済ませて、写真を撮ってから6時に出発しました。




 梼原の町を走っていくと和田城跡にある「維新の門」に着きました。ここには維新で散っていった8名の志士達の銅像が立ち並んでいます。




 

 坂本龍馬、那須俊平・信吾父子、澤村惣之丞、吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助、掛橋和泉であり明治維新が成ったときにはみんな壮絶な死を遂げていました。それを見ているとなぜか胸が熱くなってきました。

 「維新の門」を出てからゆるやかな登り道が続きます。今日もすずやんとお田鶴さんの2人が先頭でペースを保っています。道は四万川沿いに続いています。(四万十川とは違います。)

 風が強く前を走る人にウィンドブレーカが激しくはためいています。




 しばらく走っていくとサポートカーが待っていてくれました。ここが宮野々番所跡です。番所跡の前の道は龍馬脱藩当時の佇まいが残っていそうな感じでした。この番所は土佐と伊予との往来を管理するための関所であり、そしてここの管理人が龍馬の道案内をした那須親子とは深い知り合いであったというので、そこをこっそりと抜けなければいけない脱藩者龍馬との間で当時どのようなことが行なわれたかというのが歴史的にも面白いですね。




 いよいよ車道から別れて山道に入っていったのですが、さすがにここまで15キロくらい走ってきているので足に疲れがでてしまってひとりペースが落ちてきました。ゆっくりと坂道を登っていったのですが皆さんとの距離はどんどんと広がってきました。すると途中で藤原さんが待っていてくれました。ここからまた案内をして頂きました。そうして途中で昨日と同じくワープを薦めてこられました。
 昨日は我儘を言って最後まで走らせて頂いたので藤原さんには大変迷惑をかけてしまったという思いが強かったので、さすがに今日は無理を言えませんでした。
まあ、それだけ疲れていたのも事実です。車道に出たところでサポートカーが待っていました。他の皆さんは給水を終えたところでした。私はサポートカーに乗って細川さんと5キロ程ワープさせて頂きました。





 しばらく車に揺られ韮ヶ峠の1.7キロ手前の車道で車は止まりました。ここからしばらく待ってから車を降りひとり先行で峠を目指して走っていきました。1時間程休憩できたのでかなり体は軽くなりました。それでも道は厳しくやがて走り続けられなくなり歩いたり走ったりの状態です。龍馬もこんな苦労をして伊予へと向ったのだろうなあ、と思いながらバテバテで歩いているとようやく車道に出ました。そこから少し行くと標高970メートルの韮ヶ峠に到着しました。
 韮ヶ峠に到着するとサポートカーが待っていてくれました。ここが土佐と伊予の境界になりここを越えると脱藩成功という事になります。
 しかし果たして私の場合は途中で文明の利器を使ってしまったので本当の意味で脱藩成功というのには疑問が残ります。その意味でも来年、時間が許されるならリベンジしてみたいです。それはともかくもう愛媛県です。やっと伊予の国に着いたという喜びは大きかったです。
 すぐにみんなが追いついて登ってきました。やはり皆さんタフ者ばかりです。しかし、今日も藤原さんは体調不良でここからサポートカーに乗ってしまいました。どうもお腹に具合が良くないそうです。何だか責任を感じました。




 

 峠道を下っていくと四国カルスト台地のためか白い石が目につきました。
やがて見事な滝が見えました。そこに龍馬も飲んだといわれる男水という湧き水がありました。柄杓で飲もうと思ったのですが柄杓があまりにも苔むしていたので手ですくって少し飲みました。維新の味がしました。
(どんな味やねん、というツッコミ)






 しばらく行くと道はきびしい登り道へとなってきました。とても走れるようなものではありません。すずやんとお田鶴さんと3人で色々とお話をしながら歩いて行きました。えぐちさんはひたすら先行しています。さすが山屋さんだけあってすごいパワーを持ったひとですね。
 人家は全くない道を行っていたのですが突然、坂本龍馬の宿という民宿がありました。実際に龍馬が泊まったわけではないそうですが経営している方がご高齢なのでいつまで営業しているかわかりませんよ、とすずやんが言っていました。

さらに登っていくとやがて脱藩の道という看板がありいよいよ山道に入って行きました。ふたたびあえぎながら登っていくとやっとの思いで榎ヶ峠にたどり着きました。峠の近くに「坂本龍馬の通りし道」という石碑がありました。俳優の武田鉄矢さんが自費で建てたそうです。



 




 榎ヶ峠を下って行くと天神社に出て参道の小川を渡りました。その橋が「御幸の橋」です。この橋には何と屋根架かっていました。橋を渡った所で昼食になりました。そしてもちろんビールです。しかし今日は飲む人が少ないですね。結局、私と藤原さんの2人で飲みました。あれ、藤原さんお腹大丈夫でしたっけ?




 2日目の道程ではコンビニはもちろんお店という物は一軒も見かけませんでした。自動販売機もほとんど無かったです。だからサポート無しで走ろうと思うと相当な覚悟と準備が必要だと感じられました。それにトイレの問題もあります。男性の場合はほとんどが山道なので何とかなりますが、女性の場合はそれなりの覚悟が必要ですね。男性でもお腹の方の場合はどうなるか?すずやんに聞きますと数年前に兵庫県から参加された方が途中でもよおされたのでしかたなく山の茂みの中に入って行ったとの事です。すずやん曰わく、脱藩ならぬ脱○記念の場所があるそうです。(笑)

 脱藩の道を書いている本によると「龍馬は韮ヶ峠を越えて伊予の国に入ると下り坂が多くなるので軽やかに駆け抜けたと思われる」と書いてありましたが、実際はまだまだ登ったり下ったりの厳しい道が続き嘘やんって思ってしまいましたね。






 昼食後、再び走って行くとやはりみんなから送れ気味になってしまい、あとは「脱藩の道」という看板を頼りに走っていったのですが、川沿いに行く道の途中で道が3方に分かれていました。そこには何の看板もなくそのまま川沿いに行くと畑の中に入ってしまい方向も反対側に向っていました。これは間違ったと思って分岐のところまで戻って山側に行く道を行くと段々と道の勾配がきつくなってきて最後には木こり道みたいな感じになりました。先に進んで良いのかどうか迷ってもう一度引き返してもう一方の細い道を行くと行き止まりでした。完全に迷ってしまいすずやんに電話をかけてみたものの電波が悪くて要領をえません。
しかたがないので数キロ車道まで戻りました。そこで連絡を取るとしばらく車道を行くとサポートカーが待っているということなのでそこまで走って行きました。
 結局ここで30分以上ロスしました。みんなとはかなり送れてしまったのでここからまたしばらくはサポートカーに乗せてもらいました。泉ヶ峠の入口まで送ってもらってここから再出発です。ここからはゆるやかな登り道で(厳しい登りは車に乗せて頂いたので)休憩をしたおかげで軽やかに走る事が出来ました。

しかし、やがてすずやんとお田鶴さんに追いつかれてしまいました。凄すぎです。そしてえぐちさんはさらに先行しています。泉ヶ峠に着くと案内板がありここには昔、宿場があって龍馬が泊まった所だそうです。今は家一軒と残っていませんでした。




 ここからはあとはほとんど下りですが、道はけっこう荒れていて走りにくかったですね。
やがて午後4時半頃に龍馬が舟に乗ったと言われる宿間の亀の甲に着きました。今ではほとんどわからないのですが昔は舟着の場所があったそうです。龍馬はここから川舟で肱川を下って長浜に出てここから「坂龍飛騰」と称される維新の道へと飛出してしったのでした。

 そしてここが今回の2日目のゴールです。今日の走行距離はGPSで53キロだそうです。でも、私は2回もサポートカーに乗ってしまったので大体10キロくらいはマイナスになっていると思われます。
 細川さんのサポートはここまでですが、今回はフル脱藩ということなので3日目の長浜までの道があります。私と藤原さんはここまでの予定なので内子の駅まで細川さんに送って頂く事になりました。


 ゴール地点では3日目をチャレンジする人達を今晩の宿まで送って頂くYさんが待っていてくれました。Yさんは沢山の色々な蜜柑を持ってきてくれました。
蜜柑を食べながらのビールはとても美味しかったです。Yさんは今年の萩往還で250キロにチャレンジされるそうです。







 着替えを済ませて記念撮影をして解散となりました。
3日目はすずやんとお田鶴さんとえのさんは予定の長浜までの35キロを走ったそうです。そしてえぐちさんは石鎚山方向に山登りをしたそうです。

 坂本龍馬は3月24日に土佐を出発して27日に亀の甲に着きました。それを2日で走破するだけでもすごいのに、皆さんはやっぱり超人でした。




 

     完 走 記






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