風に吹かれて 雲に誘われて

萩往還完踏記


2009年5月2日













 初めて250キロに挑戦したときには、200キロでリタイヤ。それ以後はその距離以上にはたどり着けませんでした。それから5年、5回目の挑戦です。


 「えいえいおー!」
の掛け声とともに瑠璃光寺を出発しました。
今年は萩往還250キロの部には366名の参加者で
私は7分後の18時7分のスタートでした。



 今年で5回目の挑戦なので
「今年こそ何としてもここ瑠璃光寺に戻ってくるぞ!」
と自分に言い聞かせました。

 山口駅の前を通過して井出原橋を渡ったところから椹野川沿いの河川敷を上郷駅に向かって走って行きます。
ここは平坦な道なので全体のペースが速くなり、私もつられて13キロ地点の上郷駅前のエイド19時30分でした。エイドでスポーツドリンクをもらって、県道28号線沿いに走って行きました。ここから暗くなるのでヘッドランプか懐中電灯が必要になります。今回は私はヘッドランプよりも明るいので懐中電灯を手に持って走りました。

 暗い登り道が続き、二本木峠で約20キロ、下郷駐輪場のエイドで約28キロです。この時点ではまだまだ元気です。普段なら25キロも走れば充分なのですが、まだ全体の10の1なので気持ちが勝っているのでしょうね。
38キロ地点の門村で左折して長門方面に向かいます。まだまだ登り道で42キロ付近でやっと下り道になりました。下りきった所が44キロ地点の西寺のエイドです。ここまで5時間、時間は23時で自分にとっては早すぎるペースです。
ここでコーラやらカルピスなどを頂いてから、隣にあるコンビニストアでおにぎりを買って食べました。ここで補給をしておかないと
豊田湖のエイドまでまだまだ距離があるので辛いことになります。



 エイドを出てからは人もそろそろばらけてくるので、暗い山道をひとり旅になることが多くなってきます。それに距離も50キロを過ぎると疲労が感じられるようになってきました。
登ったり下ったりとどんどん走っていくとやがて豊田湖に出ました。ここで左折して白根川を渡りしばらく真っ直ぐ走れば警備員の姿が見えてきました。ここで指示に従って百合野三叉路を鋭角に右折して登り坂を登っていきます。
昔はここに警備員もいなくて、間違って直進してしまいコースアウトする人が多かったらしいですね。
 
 坂道を登り切った所に豊田湖山本ボート石切亭があって、2年前まではエイドだったの
ですが、去年からはここではなくさらに直進して豊田湖畔公園入口交差点を右折して
500メートル下った所に豊田湖エイドがありました。
 ここまで58.7キロ、7時間ほどかかりました。
ここでやっと1つ目のチェックポイントです。チェックをしてから食券をおにぎりとうどんと引き替えてさあ、食べようと思ったらおにぎりがころころと食卓の下に落ちてしまいました。涙、涙です。しょうがないのでうどんを汁まで飲みほしてから出発しました。ここでついに「まるおかさん」に追いつかれてしまいました。彼とはウェブスタートで1分の差があったのですが、本当ならもっと早く追い抜かれていたはずなのですが、やっぱり今年は早すぎですね。

 たまに後ろからランプが近づいてきて追いぬかれていかれたり、前のほうのランプを追い抜いたりしますが、ひとり旅状態が続きます。
 俵山温泉エイドで67キロです。エイドを過ぎてすぐに左折して砂利ヶ峠に向かう交差点に出ます。ここも間違いやすい要注意ポイントです。ここから長く厳しい登り道なのでゆっくりとマイペースで走っていきました。
 3,4人にランナーと一緒になって登っていったのですが、ひとり歩き、ふたり歩きとなっていき最後には一人っきりで走っていきました。

 峠まで走りきったときには感慨ひとしおでした。ここで70キロ地点です。後は日本海までずっと下り道です。「本当に待ってました!」という気分でした。これがランニングハイならぬウルトラハイなのでしょうか?
 思わず「どこまでも行こう」を歌っていました。

 どこまでもゆこう
 道はきびしくとも
 口笛をふきながら
 走ってゆこう

 大坊ダムを越え軽快に走る事ができました。去年まではダムの所にエイドがあったのですが、今年は3キロほど移動して新大坊の交差点にありました。
 ここまで80キロ、約10時間かかっています。でも、このペースはいつもの100キロマラソンに匹敵しています。
快適な下り道はここで終わりです。しかも、その反動で疲れからか眠気が出てきました。
 
 新大坊エイドから海湧食堂に向かって走っていると、ウルトラランナーの有名人「越田さん」が追いついてきました。
初めて250キロにチャレンジしたときに宗頭で出発しようとしたときにシューズを間違われてしまったときに「越田さん」にシューズをお借りしたことがありました。
 「越田さん」は毎年宗頭で5時間くらい仮眠をとってから制限時間ぎりぎりの午前4時に宗頭を出発して完踏という超人ランナーです。海湧食堂までの道程を色々とお話をして頂いて、眠たい気分も解消しました。
 
 海湧食堂で86.7キロ、午前5時半、ここまで11時間30分です。「越田さん」にここは生ビールが置いてあるから美味しいよ、って薦められて少々不安もあったのですが、おかゆ定食と一緒に生ビールを飲んでみました。
ビックリするくらいに美味しかったです。しかも、疲労回復して眠気も完全になくなってしまいました。



 海湧食堂から俵島に向かいます。県道357号線から久津港を通って農協を左折して平坊分岐を左折しました。
俵島のチェックポイントに行くには、一番距離の短くてアップダウンの連続の北回りと一番距離が長くても割合となだらかな(それでも厳しい登りはありますが)とその中間的な真ん中を行く3コースがあります。
 今回は真ん中のコースを行って北回りで帰って来ることにしました。
チェクポイントの俵島の看板に向かっていると地元のおばさんから自生のサクランボを頂きました。甘くて美味しかったです。






 登って下ってやっと俵島チェックポイントにたどり着きました。ここまで98.8キロ、13時間40分でした。
 ここで沖縄からこられた「くのうさん」と知合いました。
ここから川尻岬まで一緒に話しながら、登りは無理しないで歩き平坦と下りは走るというペースで行きました。
 
 川尻岬で107キロ、ここまで15時間でした。ここは過去2回リタイヤした苦い思い出の地です。
3つ目のチェックを済ませてから食券でカレーライスをもらって再びビールを飲んでみました。何とまたまた疲労回復です。下手な眠気覚ましの薬より効果てきめんです。

 元気いっぱい(?)川尻岬を出発して畑峠を左折して急な坂道を下り、川尻漁協前を通って大浜海岸から立石観音に向かいました。またまた登り下りの道が続きます。立石観音で4つ目のチェックを済ませました。ここからいよいよ千畳敷の
恐ろしく長くて辛い登り坂が始まります。今年は曇り空だったので去年よりは日差しは弱かったのですが、やはり暑くて汗がダクダクと流れ落ちていきます。

 やっとの事で124.7キロ地点の千畳敷にたどり着いたときは午後12時50分18時間50分かかっています。足底に違和感が出来ていました。これがこれからゴールまで苦しめられる肉刺の始まりでした。
ここでで再び「くのうさん」と出会いました。ここから宗頭まで一緒に走って頂きました。



 千畳敷のチェックを済ませてから急な下り坂をゆっくりと走っていきました。
初めて参加したときにこの道を下りきったときには膝が真っ赤に腫れてしまったことがあったので、なおさら慎重になりました。
 西本交差点を左折して1.5キロに黄波戸エイドがありました。去年までは西本交差点にあったのがこちらに移動したものです。中学生がエイドのボランティアをしていて元気いっぱいなエイドでした。

 ここから何人かの集団走で1キロ7分の快走ペースで仙崎まできました。自分としてはみんなに付いていくのが精一杯のペースでした。
仙崎は詩人「金子みすず」の出身地です。いつかはゆっくりと訪れてみたい所ですが、今回は大急ぎで通り過ぎました。仙崎エイドでスポーツドリンクを1本もらって、いよいよ青海島の鯨墓までの往復です。再び登って下って、また登って下ってまたまた登ってくだって、本当にやっとの思いで鯨墓にたどり着きました。
「よくもまあ、こんな厳しいコースを作ったものだ!」
と愚痴も出そうになりましたね。
 鯨墓まで153キロ、24時間30分かかりました。

 鯨墓とは捕鯨を生業としていた人々が供養と感謝のために建てたお墓です。ここもゆっくりと訪れてみたい所ですが、6つ目のチェックして今来た同じ道を仙崎まで戻って行きました。



 
 帰り道の途中で「カワニャンさん」とすれ違い、それからしばらく行くと「ささきさん」ともすれ違いました。途中でお腹が痛くなってしまい歩いたり走ったりの繰り返しでやっとの思いで仙崎のエイドステーションに着くと急いでトイレに駆け込みました。

 仙崎にもどってからは足の裏の肉刺がひどくなってしまい、宗頭まではほとんど歩きになってしまいました。付き合って頂いた「くのうさん」には申し訳のないことをしました。
 どこまでも遠く感じられる暗い道・・・。宗頭文化センターは175キロ、到着は22時30分、28時間30分かかりました。
「くのうさん」ここまでどうも有難うございました。

 預けていた荷物を受け取って、肉刺の手当を使用と思って靴下を脱いだのですが思っていたよりもひどいことになっていました。特に足の裏の肉刺がいくつもがつながってしまい大きな水膨れになっていました。取りあえず安全ピンで水抜きをしてバンドエイドで処理する事しかできませでした。
 そして30分程そのまま仮眠をとって、おにぎりを味噌汁を頂いてから午前12時に「カワニャンさん」と一緒に出発しました。
 「ささきさん」を待っていたのですが、出発するまでにやって来ませんでした。

 実はここから萩までの道は去年リタイヤした後で、朝から出発して歩いた事がありました。しかし、明るい時間と深夜とは全然雰囲気が違いましたね。

 藤井商店で7つ目のチェックをして左折して山道を鎖峠に向けて登っていきます。
さすがの「カワニャンさん」も疲れからかしきりに幻覚みたいな感覚にあると言っていましたが、私は不思議と大丈夫でした。ただ肉刺の痛さがひどかったですね。
 山道を登り切った所で国道191号線を萩に向けて行きます。三見分岐から三見駅に出て、8つ目のチェックをしました。それから駅前の道を再び山道へと進んでいきます。本当にまっ暗な道で何人ものランナーが幻覚をみたり幽霊に出会ったり(?)したと言う話がわかりますね。

 暗くて長い山道を歩いて行きました。とても走る事など出来ませんでした。カワニャンさんが一緒なので平気で進めるのですが、ひとりぼっちならこの道はかなり辛いですね。

 踏切を越えやがて日本海にでました。そこから玉江駅に出たときには夜が明けてしまい、さすがに時間をかけすぎてしまった感がありました。道中で再び腹痛に襲われていたので玉江駅のトイレに駆け込んでしまいました。

ここからは140キロのランナーと合流するので、まだ元気な彼らからはどんどんと追い向かれていきました。でも、
「頑張って!」とか「お疲れさま!」とか声をかけてくれるので少しは元気をわけてもらいました。

 萩城址の前当たりで「カワニャンさん」と別れてそれぞれマイペースで行くことになりました。萩市街を通過して海岸に出て、そこから虎ヶ崎までの10キロはどの道程は本当に辛かったです。疲れが出てきて眠たさと脱力感に襲われてしまい、フラフラ状態でした。自分ではかろうじて走っているつもりだったのですが、140キロの部のランナーで歩いている人がいても全然付いて行くことが出来ませんでした。それでも「頑張って下さい!」という声援が嬉しくて何とか走っている状態でした。



 永遠に続くように思われた道の果て、やっとたどり着いた虎ヶ崎の(つばきの館)で206キロ、38時間でした。
あと残り44キロ10時間です。ここで9つ目のチェックをして、カレーライスを食べました。
そして、最後の綱のビールを補給して再び復活を果たしました。

 萩市内にもどって東光寺の門前で10個目のチェックをしました。チェックポイントはこれで終わりです。ここまで214キロ、残り36キロ8時間かなりギリギリですね。



 萩の市街地を走って涙松跡から県道32号線、いよいよ最後の難関、
萩往還道です。ここからは登り道が厳しいので走れる所は全部走らないと
余裕がなくなってしまいます。
本当にもう1時間早ければ余裕も出たでしょうが、後悔しても始まりません。「絶対にあきらめない!」それだけを心の中で叫びながら前に進みました。

 道の駅「萩往還公園」のエイドを過ぎてから本格的な往還道の始まりです。地道や石畳で肉刺が潰れた足の裏がじんじんと痛みます。「でも、絶対にゴールする!」その一念で痛みを堪えました。



 明木市のエイドでお茶をペットボトルに補給してもらって、萩往還道最大の難関一升谷の登りが始まりました。さすがにまったく走れません。
 どこまで登りが続くのか、意識が遠のく思いがしました。やっと終わったと思ったらさらに新しい登り道があらわれ、さらに登りが続き、ヘトヘトになった時に石畳が表われ長い石畳の末についに頂上に到着しました。



 ここまで230キロ、あと20キロを4時間です。
 佐々並市に走って行く途中で、「越田さん」が追いついてきました。宗頭を私よりも4時間も遅く出発したのにここで追い向いていかれました。さすがですね。その「越田さん」に
「あと時速5キロで走ればいいから絶対にゴールできますよ。」
と励まされたのですが、
「肉刺が痛くて・・。」と答えると
「そんな豆なら佐々並豆腐に入れて食べちゃいなさい。」
って言われてしまいました。
でも、佐々並市に着いてみると肝心な佐々並豆腐はすでに無くなっていました。

 ここから国道262号線をさらに登り道です。往還道に入ったり車道にはいったりでした。この辺は遅くてもほとんど走りました。自分でもまだ走れることが不思議でした。
「ゴールして美味しいビールを飲むのだ!」との一念でしょうね。。
 長い登り道を必死に走っていると雨がぽつりぽつりと降ってきました。「時速5キロなんて無理だ!」と気持ちが負けそうになるのですが、
「絶対にあきらめない、絶対にあきらめない!」と呪文のように繰り返しました。
 やがて県道62号線から夏木原キャンプ場を通り過ぎて、さらに板堂峠の長い長い坂を登っていくと雨がきつくなってきました。
 


 板堂峠登り口から再び往還道に入って少し登ったところが板堂峠です。ここからはゴールまですべて下り道です。ただし、半分は往還道でしかも雨に濡れて滑りやすい石畳がほとんどです。
ここで転んで怪我をしたら元も子もないので時間は気になるのですが、慎重に
下っていきました。六件茶屋跡を過ぎてやっと天花畑に出て往還道は終わりました。
 
 ここからゴールまで約4キロ、残り時間40分・・・。
普段なら何でもない時間ですが、いくら下り道だといっても246キロ走ってボロボロな体で大丈夫かと思っていたのですが、心の中の声は
「大丈夫だ、絶対に間に合う、絶対にあきらめない・・・。」
の繰り返しです。

 すると自分でもどこにそんな力が残っていたのか不思議なくらい走る事ができました。実際に前を走っている70キロや140キロの部のランナーを追い抜いて行く事すら出来ました。

 一の坂ダムを越え、天花橋を渡り木町橋北詰交差点を右折して、ついに、ついにゴールの瑠璃光寺が見えました。

 沢山の声援を受けながら、すべての苦しみ痛みがなくなって瑠璃光寺の境内へと入っていきました。
そして、ゴールテープを切った瞬間、自分でも抑えられなくなり本当に泣きそうになりました。
ネットタイムで47時間45分31秒・・・。

5年かかってやっと悲願の250キロを完踏する事ができました。



   完 走 記

  


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