風に吹かれて 雲に誘われて

山陰合宿の記録


 我が大学のサイクリング同好会では、春合宿を3月17〜21日の間、山陰の倉吉から秋吉台にて行なった。

 3月15日、主将であり先輩でありさらに同学年(? 留年していました)の善さんと2人で大阪にある大学にキャ

ンバスを早朝に出発して岡山に向かった。ひたすら車の多い2号線を走り夕方には岡山県の西大寺にある善さんの実家

に到着した。今日の行程は約180キロだった。その夜は刀鍛冶の善さんの実家でお世話になった。

善さんの家族はもともと東京出身だそうで、ばりばりの関西人の自分は夕食に出された納豆を食べるのに苦労した。

食事の後、善さんの親父さんに真剣を持たせてもらったのだが、今でもその重みは手に残っている。ここ西大寺は喧嘩

祭で有名なのだが善さんは参加したことはないらしい。

 3月16日、朝食をご馳走になったあと善さんと2人で善さんの実家を出発した。ウランの採掘で名前は知っていた

人形峠を越えて倉吉市に向かった。合宿の集合場所である羽合温泉の香宝寺ユースホステルに午後6時頃到着した。

山陰のハワイ(羽合)で温泉に浸かって今日の疲れを癒した。

今回の合宿参加のメンバーは、3回生3人、2回生私1人、1回生5人の合計9名である。



 3月17日、前夜に香宝寺ユースホステルで集合して懇親会をおこなった(ユースホステルでは禁酒のため外出した

のだが)ために多少二日酔い気味ではあるが、予定通りユースホステルでの朝食後出発した。今日から合宿の始まりで

ある。国道9号を走り大山口まで行き、そこから大山を登る。道の勾配は8〜10%くらいかなかなか厳しい。

1回生はみんな体力があるのか彼らの背中があっという間に見えなくなった。

「お若い人らはええの、わしら年寄りにはとてもとても追いつけませんわい・・・。」

と先輩達とぼやきながら坂を登った。しかし、善さんだけは元気な1回生の先頭を切って走っている。

あの人はさすがに主将を2年連続でするくらいあって超人、いや怪物だ。

大山を無事に登り終わって大山ユースホステルには午後3時に到着した。予定よりもかなり早かったので1回生と善さ

んはスキーをするというので元気にゲレンデに飛出していったが、どうせ私らお年寄りは宿の中でおとなしく麻雀には

げむのであった。



 3月18日、 ユースホステルの前の雪が積もる道を出発したが、タイヤがツルツルと滑って危ない。車道に出れば

積雪は無くなっていた。大山から一気に下ってそれから海岸沿いの道を境港へと向かった。綺麗な砂浜が広がりなかな

かの景観だった。境港は有名な漫画家の水木しげるさんの出身地だ。ここから松江までの道で島根半島の日本海側の海

岸沿いの道に行く強者組と、中海の大根島に渡って大海崎に渡って行く軟弱組とに別れた。

 強者組は善さんと1回生2人が志願した。私は当然軟弱組だ。我ら軟弱組は大自然に挑む強者組の出発を羨望と憧れ

の眼差しで見送り、その勇姿が見えなくなると皆、口々に言った。

「アホちゃうか!転けんなよ!」

 松江市に入るとちょうど昼食寺になったので名物の三色蕎麦を食べた。三色蕎麦とは何の事なく3つに分けた蕎麦に

うずら玉子と大根おろし、山芋をそれぞれに付けたものだった。食後の後は松江城を見学した。観光地嫌いな主将の善

さんがいなくなると合宿の様子ががらりと変わってしまった。色々と観光をしながら出雲大社前のえびすやユースホス

テルには午後4時頃に到着したが、まだ強者組は到着していなかった。軟弱組はユースホステルにチェックインいた後

で出雲大社を参拝した。

 縁結びに御利益があるというので500円も出してお守りを買ったのに未だに御利益にありつけない。お賽銭をあげ

なかったからだろうか?

 参拝を済ませてユースホステルに帰ってくるとちょうど強者組が到着した。どうやら1回生の2人は途中でバテてし

まって松江からここまで自転車をたたんで電車で輪行してきたらしい。しかし善さんは一人走りきったのにまったく平

気な顔をしていて、まだこれから300キロでも走って行きそうな気がただよっていた。

やっぱり怪物だ!



 3月19日、ユースホステルを出発して大社駅に行った。ここで用事があるという1回生の2人が輪行で大阪に帰っ

て行った。(まだこの頃は同好会だったので規律は緩やかだった)大社駅は宮作りで堂々としたりっぱな駅だった。

 今日は益田まで国道9号線を140キロ程ひたすら走るという結構タフな行程だ。結構アップ、ダウンが続き、途中

でパンクする者がでたり道を間違えたりして散々でさすがにもういい加減にしてほしいほど辛く長い道だった。それで

も予定通り午後6時に益田の七瀬公園ユースホステルに到着した。今回の合宿で一番はハードな一日だった。

 実は途中で通過した有福温泉の名物で「善太郎餅」というのがあるらしく、善さん(本名 善太郎)にその餅を持っ

てもらってニッコリと笑ってもらう写真を撮る予定にしていたのだが、「善太郎餅」を見つけることが出来なかった。

残念・・・。

 七瀬公園ユースホステルのお風呂は釜風呂だった。風呂場には出入り口以外にもう一つドアがあって、何だろう?と

思って開けてみたらなんと洗濯機などが置いてある洗い場だった。確か若い女の子もいっぱい宿泊していたはずなので、

もし出会い頭に遭遇していたら何て思うと、こちらはすっぽんぽん、たら〜り・・・・。

その夜のミーティングの時には善さんがなぜだかハイテーションで張り切っていて、最後にはウルトラマン相手の怪獣

役をさせられていた。



 3月20日、ユースホステルのヘルパーの人達に送られて午前8時に出発した。今日は津和野を通る。津和野は若い

女性がいっぱい観光に来ているらしいので、素晴らしい出会いがあるような気がして胸をときめかせて走った。午前

11時に津和野到着。ここで30分自由行動という事になった。出雲大社でもとめたお守りをギュッと握りしめていざ

出陣!若い女性がウジャウジャといてる・・・・。

 1時間後、あきらめと失望の思いを噛みしめて峠道を登っていた。もう津和野なんかには来ない、なんて言っても傷

心の思いも峠道の辛さには勝てない。ヘトヘトになっても登った。

 壮大な長門峡を走りカルスト台地の秋吉台を走った。有料道路を通って午後6時半に秋吉台ユースホステルに到着

した。ここのユースホステルは200人収容と言うだけあってなかなか広い。大広間にオルガンが置いてあった。

夕食後に善さんがいきなりオルガンに座っておもむろに演奏した。その曲が「猫踏んじゃった」だったので周りの人達

がずっこけたりして大いにうけた。



 3月21日、合宿最終日。朝、クラブでの最終ミーティングをしてここで主将の善さんと3回生の山本さんとが別行

動となった。実質的に解散だ。善さんはここから広島に、山本さんは萩に向かう予定だ。

残った5人で日本3大鍾乳洞の秋芳洞を見学することにした。それにしてもここまで来ても立ち寄らない善さんの観光

地嫌いにはたいしたものだと感心した。

 秋芳洞はさすがに綺麗で感動的なものだった。何千年、何万年をへて一本に柱につながる鍾乳石には凄いものを感じ

る。

 秋吉台を後にして下関に向かっていると今まで晴れていた空からぽつりぽつりと雨が降ってきた。そしてやがて本降

りになった。実は朝に別れた山本さんは凄い晴れ男で彼が一緒の時に雨にあった記憶はほとんど無い。いや皆無と言っ

ていいだろう。現に今回の合宿でも今日まで晴天に恵まれていた。

(後で山本さんにお話を聞いてみると萩の方では雨は降らなかったそうだ)

 途中で1回生の一人が釣り針を踏んでパンクした。雨のなか最悪の修理となった。ついてないねえ。

 下関から関門国道トンネルを通って九州に入った。ここはエレベータでトンネルに下りてまたエレベータで上がる。

そして、エレベータを上がればそこは九州だった。(当然だ)

 大阪を出発して8日目で九州に上陸出来た。自分の力で九州まで走って来ることが出来て本当に嬉しい。喜びを噛み

しめて雨の道を走った。

 そこから門司港駅に行ってここで残ったメンバーも解散する事になった。3回生の一人と1回生の2人はここからブ

ルートレインに乗って大阪に帰る。

 私と1回生の一人はここから輪行で中津まで行って中津ユースホステルに宿泊した。明日、彼はさらに別府まで輪行

してそこからフェリーで四国に渡って走り続けるらしい。

私はここから耶馬渓に行ってから国東半島の海岸沿いに走って親戚のいる大分に向かう予定だ。これからは一人旅、何

が待ち受けているか楽しみだ。(了)


   なつかしのサイクル日記

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