風に吹かれて 雲に誘われて

北海道1周自転車旅行


 まっ暗な海の果てにぽつりと光が見えてきた。あれが北海道の灯だ。大学のキャンパスから青森まで約1150キロ、

我ながら大阪から自転車でよく走ってきたものだ、と思いにふけた。

 大阪からひとりで新潟まで走り、新潟からは青森までを大学の自転車部の夏合宿で走ってきた。そして、前日に十和田湖

で合宿は終わり解散した。それから数人で八甲田山を越え青森市までやってきた。青森駅から電車で大阪に帰る者と別

れ、部長の善さんと2人で深夜便の青函フェリーに乗ったのだった。ここまで16日間、すごく日焼けして自分自身たく

ましい野生人になったものだと思った。


7月26日

 青函フェリーで函館に上陸したのは午前4時頃だった。取りあえずフェリーターミナルの前の芝生でシュラフにもぐり

込み眠りに落ちた。

 午前8時に次の便で降りてきたトラックの轟音で目が覚めた。善さんとは長万部までを今日一日だけ一緒に走る予定

だ。善さんは長万部から小樽に向かい、自分は北海道を時計と逆周りで1周する予定だ。ターミナルの売店で買ったパン

を食べてから出発した。

 せっかく函館に来たのだから五稜郭に行ってみた。五稜郭は江戸時代の末期に建設された星形をした城郭で、幕末の箱

館戦争で土方俊三が占拠したことで有名だ。

 星形を確認したくて公園を散歩してみたのだがさっぱりわからない。星形を確認するためには隣接する五稜郭タワーに

登らなければ無理みたいだ。しかし、入場料500円というのを見てやめた。何分一日1000円の予算だから節約し

た。善さんは観光地嫌いだからとくにだ。

 五稜郭を堪能(?)してからひたすら国道5号線を走った。北海道に渡って最初にビックリしたことは山が無い事だっ

た。いや、東北の山々を縦断してきたばかりなのでそう感じたのかもしれない。「北の大地」という言葉を実感した。

 函館の市街地を抜けると一段とその思いは深くなった。今まで水平線は見たことはあるが、地平線を見るのは初めて

だ。そんな遙かなる大地の道を粛々とペダルをこいでいく。

 一本道の周りは大草原だった。時折、牛の姿も見かけた。道はあくまでも平坦で、帰って疲れてきた。所々で「熊注

意!」の看板を見かけた。最初のうちは「さすが北海道だなあ。」って笑っていたのが、看板があんまり多いのでさすが

にぞっとしてきた。

 大沼を超え、イカ飯で有名な森町を通り過ぎて行くとやがて長万部に着いた。海岸にテントを設営して今日の宿とし

た。善さんとビールで乾杯して今までの道程を振り返り、明日からのそれぞれの旅路をお互いに激励した。

 本日の走行距離は約100キロだった。


7月27日

 テントを片づけて出発しようとしたら、スポークが2本折れていた。予備のスポークは持っているのでさっさと交換し

てみると何だかまだ様子がおかしい。よく調べてみるとなんとハブシャフトが折れてしまっていた。さすがに自分ではど

うしようもない事態なので町の自転車屋を探して持ち込んだ。輪行仕様なのでクイックハブシャフトを使っていたのだ

が、田舎の自転車屋さんではそんなものは無かった。結局、ロックナット式のハブシャフトで我慢する。自転車屋の親父

さんは「こっちのほうが丈夫じゃけん。」と笑っていた。

 北海道に渡って早々にこんなに大きなトラブルに見舞われたのにはさすがにショックが大きかった。善さんが一緒にい

てくれたので気分的にはまだ救われたのだが、その善さんともここでお別れだった。

 善さんは国道5号線を小樽に向かい、自分は北海道1周のために国道37号線を走る。先輩の背中を見送って、これで

本当にひとりぼっちになったのだなあ、と気持が沈んだ。

 洞爺湖は温泉街がありお土産屋と旅館の数が北海道一という観光地だ。観光客の間をぬって有珠山を見ながら通りすぎ

た。すると昭和新山が見えてきた。よく昭和新山みたいな山が突然に突起したものだなあ、と感心する。

 伊達市を通り過ぎると道沿いは石油コンビナートが連なってきてまもなく室蘭の町に入ってくると車の数が多くなって

きた。トラックやダンプがビュンビュンと追い抜いていったので肝が冷える。

 登別を過ぎた当たりで今晩の食材を買い込む。今日は北海道上陸記念だから少し奮発してそれでも一番安いワインを買

った。一番安くても1本千円もした。1日の経費が食費も何もかもいれて(と言ってもほとんどが食費だが)1000円

以内に抑えている事からすれば大散財だ。

 本州では夕方になるとねぐらを探してウロウロを走るのが習慣になっていた。無人駅の駅舎や屋根付きのバス停を探す

のだった。しかし、ここでは物件が限られるからのんびりしていると次の候補地まで何十キロあるか分かったものじゃあ

ない。今晩は海岸にテントを張れそうな場所を見つけたのでさっそく設営した。

 コッフェルでご飯を炊いて、キャベツとジャガイモの薄切りと豚肉の細切れとの野菜炒めで晩飯とする。ワインを開け

て自分に乾杯をした。ボトルを半分ほど飲んだ頃に仰向けに寝転がった。

 青森の十和田湖までは仲間大勢で行動していたし、今朝までは部長の善さんと一緒だったのに、今はみんなと別れてた

だ一人。一人になれた開放感に浸れると思っていたのだが何という寂しさ。今日は海が荒れていて波音が荒くそして強い

風が激しくテントをたたき、なかなか寝付かれず不安と孤独さにまだまだ長い旅を思いやる。

 本日の走行距離は約100キロだった。


7月28日

 朝、寒さで目が覚めた。時計をみると午前6時を回ったところだ。バス停に泊まる時は始発バスの来る前に出発しなけ

ればいけないので何時も5時には起きる。今日はテントなので寝過ごしてしまった。それに昨日少し飲み過ぎたみたい

だ。1日の気温差が大きいとは聞いていたが8月にこんなに冷えるとは思わなかった。ノロノロとテントを出てお湯を沸

かして昨日の残飯にぶっかけて朝飯とする。お茶漬けならぬお湯漬けを胃のなかにぶっ込んでから夜の間に降っていた雨

にずぶぬれのテントをたたむ。いつもの事だが面倒くさい。だからあまりキャンプが好きではないのだ。それから最寄り

の駅に立ち寄ったときに便所で洗うために食器類を袋に入れる。荷物を自転車に括り付けて、さあ、出発だ。

 白老コタンは北海道の先住民「アイヌ」の村(コタン)をポロト湖の湖畔に復元、保存された施設だ。五稜郭タワーで

は入場料を惜しんだが、今日は観光地嫌いの善さんもいないことだし清水の舞台から飛び降りた気持で500円を払って

入場した。「アイヌ」の家や倉や船などを見学して「アイヌ」の踊りを観賞した。でも、後で聞いた話だとここで「アイ

ヌ」の格好をしている従業員は大学生のアルバイトが多いらしい。まあ、それもしかたないね。

 施設内を見て回っているうちにこんな観光対象にされてしまった「アイヌ」が気の毒になってきたので、そこそこで退

散して苫小牧に向かった。

 苫小牧の食堂で昼食を食べてから出発しようとしたら、お店の人が300円かんぱしてくれた。突然でビックリしたが

人の温かさがすごく嬉しかった。

 苫小牧から国道235号線を南下する。ここは噂に聞いていたダンプ街道でそんなに広くない道なので途切れることな

く横をダンプが通り過ぎるたびに冷や冷やしながら走った。

 今晩は新冠の駅で野宿する事にした。すると後から2人連れのサイクリストがやはりここで野宿するという。3人で駅

長さんに挨拶すると快く承諾して下さった。2人のサイクリストは近くの食堂で夕食を済ますということだが、自分はこ

こで自炊する。今日はいつもよりも遅くなったので日が暮れて手元が暗い。おかずを作り終えてしばらく待ってやっとコ

ッヘルのご飯がたけたので、蓋を開けてみたらなぜだか胡麻ご飯みたいになっていた。なにかご飯に黒い物が混ざってい

た。なんだろう?とよく見てみるとその黒い物の正体は、なんと、蟻だった!

「ぎゃ〜!」背筋が凍る思いがした。

 お米を入れていた袋に蟻が侵入していたのだった。蟻ご飯を食べるわけにもいかず、さりとてお米も蟻まみれで全滅だ

ったのですべてを捨て、夕食はおかずだけでご飯抜きになってしまった。

本日の走行距離は約120キロだった。


7月29日

 朝、2人のサイクリストと駅長さんと4人で記念撮影をしたあと、3人で襟も岬を目指して出発した。久しぶりににぎ

やかなツーリングを楽しめて寂しさから解放された。

 襟裳岬は断崖絶壁から太平洋の雄大な景色が観られる筈だったのだが、霧に覆われていて何も見えなくて非常に残念だ

った。しかたがないので大ヒットした森進一の「襟裳岬」を歌った。「襟裳の夏は、なにもない夏です〜(本当は春で

す)

 岬の書き込み帳があったので読んでみると、大学の同級生のA君の書き込みがあった。前日にここに来たらしい。彼は

周遊券とヒッチハイクで北海道旅行に来ると言っていたのだ。なんだか懐かしい・・・。

 襟裳岬から「黄金道路」といわれる国道336号線を走る。なぜ「黄金道路」と呼ばれるというと黄金を敷き詰めら

れるほど建設に莫大な費用を投じ断崖を切り開く難工事の末に開通したことが名称の由来らしい。決して金ぴかの道じゃ

あない。

 今晩はその途中のバス停を宿にした。このバス停はトイレも完備していて、冬に備えて扉もあり一見ロッジにみえる完

璧な宿だ。やはり数人の先客がいた。

 本日の走行距離は約130キロだった。


7月30日

 「君たちここを出て行くときにはきちんと片づけていくのだよ!」

という地元のおじいさんの声で目が覚めた。

 「わかりました。」と笑顔で答えておいた。

 そのあとで朝食の支度をしようとしてバス停の中で愛用のガソリンコンロに火を付けるためにプレヒートしたら(ガソ

リンを暖めて気化させるためにコンロの上に固形燃料で火を付ける事)何と、ガソリン注入口がゆるんでいたので火が移

り火柱が上がったしまった。急いでタオルを持って注入口を締めたので火は治まったが、背中は汗でびしょ濡れだった。

手に軽い火傷を負ったのだが気にならないくらいびっくりした。火の取り扱いには十分に気をつけないといけないと肝に

銘じた。

 やっと落ち着いたと思っていたところにさっきのおじいさんがまたやってきて、

 「ちゃんと片づいたかね?」としつこく尋ねてきたので、

 「はい、ちゃんと片づきましたよ。」と再び笑顔で答えて、実は心のなかでは、

(もう少しでバス停ごときれいに片づいていたのだけれどね・・・。)とつぶやいていた。

 釧路方向に向かう2人と別れた。またひとりぼっちの旅になった。

 テレビで有名になった広尾線の幸福駅に立ち寄った。ここで記念撮影をしてやはり有名な隣の愛国駅に向かった。確か

「愛国から幸福へ」がキャッチフレーズだったと思う。その愛国駅で今晩は野宿する事にした。するとサイクリストの先

客が3人いた。今晩も孤独にならずに済んだ。今晩はみんなで味噌汁を作ってご飯にぶっかけて猫マンマにした。

 本日の走行距離は約70キロだった。


7月31日

 北の大地の朝は寒い。日が昇ってくるにつれ段々と温度が上がってくる。今日も暑くなりそうだ。ただ本州と違うのは

日が照って暑くなっていても木陰に入るとかなり涼しい。たぶん湿度が低いからだろう。

 昨日のことがあったので、今朝はコンロを使わずに簡単に朝食を済ました。今日の朝食は魚肉ソーセージにマヨネーズ

をぶっかけて食パンで巻いたものだ。これが結構美味い!

 宿泊していたみんなで記念撮影をした。それから3人とは方向が違うので別れた。みんなに幸福が訪れますように。

 池田市に入って十勝ワインで有名なワイン工場を見学した。ちょうど昼時なのでここのレストランでワインを飲みなが

ら昼食をと思ったのだが、一品最低1000円、ライスは別、当然ワインも別というメニューに脅えて早々に退散した。

身分相応の大衆食堂でお腹を満たしてから足寄に向かった。途中で同じ方向に走っているサイクリストのN君と意気投合

して足寄の手前の仙美里駅で一緒に野宿をする事になった。早速夕食の支度にかかっていて、ふとN君をみると自分のガ

ソリンコンロに給油をしようとしていた。それも、コンロに火が着いたままで・・・。

「危ない!」と叫ぶ間もなく彼が手に持っていた燃料タンクに引火して、それを放り出したがためにあたり一面火の海に

なってしまいました。何年か前に火に囲まれている忍者が出ていた映画があったなあ、なんて思ってしまうほど見事な火

の輪になりました。持っていたタオルで叩いてもほとんど火を消す効果がない。たまたま近くで作業をしていた地元の人

達が毛布を持って来てくれてなんとか事なきをえた。2人で助けてくれた人達や駅長さんに平謝りした。

 2日前に同じようなトラブルを侵してしまった自分にはすごく堪えた。危うく北海道から駅をひとつ抹消するところだ

った。

 本日の走行距離は約60キロだった。


8月1日

 出発するときに2人で駅長さんに挨拶にいった。駅長さんは昨日のことがあったにもかかわらず、

「気を付けていくのだよ。」と送り出してくれた。なぜだか「ジ〜ン」ときた。

 しばらく走ると足寄の町に入った。ここは歌手の松山千春の出身地で彼の実家の新聞社には大きな似顔絵がかかげてあ

った。

 N君とはここで別れて、阿寒湖に向かう。またひとり旅だ。途中でオンネトーに立ち寄った。ここは隠れたスポットで

ほとんど観光客がいなくて静かで神秘的な湖だ。湖越しに望む雌阿寒岳が見事だった。それからマリモで有名な阿寒湖に

行ったのだが、大きなホテルが建ち並びあんまりにも観光化されていてガッカリした。

 近くのキャンプ場で大学の合宿で来ていた4人組みに仲間に入れてもらって、みんなでキャンプをした。1週間ぶりに

合宿の雰囲気を味わえてよかった。

 本日の走行距離は約80キロだった。


8月2日

 合宿の4人とは別れて阿寒横断道路を走った。久しぶりに厳しい登り道だったが峠からのパンケトーの眺めは最高だっ

た。

 日本の「ネッシー」と言われる「クッシー」が出現するという噂の屈斜路湖に着いて、砂湯キャンプ場でテントを張っ

た。このキャンプ場の近くには温泉があって久しぶりに汗を流すことが出来た。

キャンプ場で知合った2人組みのサイクリストと意気投合してビールを飲み交わした。

 本日の走行距離は約100キロだった。


8月3日

 旅立つ2人を見送って今日はここをベースにして連泊する事にした。テントの中に荷物を残してまずは美幌峠を登って

みた。屈斜路湖の素晴らしい景色を眺めながら名物の焼きとうもろこしとジャガバタを食べた。峠を下りてから今度は摩

周湖に行ってみた。長くてきつい道をやっと登ってみたが、霧の摩周湖みたいな幻聴的な風景どころか、あたり一面霧に

包まれて湖どころか自分の走っている道すら見えない状態だった。襟裳岬に続いてガッカリとした風景だった。

そのまま、砂湯のキャンプ場にもどって少し早いが夕食の準備にかかった。実は今日はお客が来るのだった。

 午後6時をまわったくらいにやっとその来客はバスでやってきた。同じ大学の同級生のA君だった。彼とは夏休みに入

る前から8月3日に屈斜路湖の砂湯キャンプ場で待ち合わせするように約束していたのだった。

「襟裳岬の書き込み帳読んだよ。」と言うと彼は嬉しそうに、

「そうかあ、読んでくれたんかあ。」と笑った。

 彼を自分の狭いテントに招待して2人で無事に出会えた事に祝杯した。彼はバスや列車なので約束を守ることは割合と

簡単だろうが、自分は自転車なので、しかも出発から2週間後の予定なのでどうなるかわからない状態なのにA君は自分

を信じてくれてここまでやって来たのだった。本当に彼がバスから降りて来たときには感動した。

 本日の走行距離は約50キロだった。


8月4日

 バスで旅立ったA君を送り、再びひとり旅で標津に向かった。昨日が楽しかっただけに心のギャップが大きい。意気消

沈で走っているとなんと先日別れたN君と再会した。再び心に灯が戻ったような気がした。

2人で野付半島のトドワラやナラワラを見学した。

 トドワラやナラワラとはトド松やナラ松が湿原で立ち枯れをしてその残骸が荒涼としたもので風景を作り出していた。

なぜだか自然の驚異に身震いする思いがした。

 標津駅の前でシチュウを作って牛乳とワインで2人の再会を祝した。ほどよく酔って気持ち良くシュラフにくるまって

いたのだが段々と風が強くなってきて、やがて雨が降ってきた。そうなると野宿どころではない。駅の屋根の下に避難し

て寒さに震えながら夜明けを待った。

 本日の走行距離は約110キロだった。


8月5日

 午前5時に駅が開いたらすぐに待合室に逃げ込んだ。ラジオの情報によるとどうやら北海道に台風が上陸してまともに

こちらにやってきたのだ。外は自転車では走れないくらい強い風が吹いていた。今日は一日ここで待機するしかない。

今日までずっと走り続けてきたのだからたまには良い休息になるかと思いきや駅の待合室で一日じっとしているのは辛

い。一日ってなんて長いのかと感じた。駅の人も気の毒に思ってくれたのか何も言わなかった。

 夕方になってさすがに台風の中で自炊する事はできないので近くの食堂で済ませた。しかし最終列車の出てしまった午

後11時には駅を追い出されてしまうので、どこか雨風がしのげる場所に避難しなければいけない。2人で色々と思案し

ているとたまたま通りかかったサイクリストが学校の用具室に潜り込もうと言ってきた。彼に付いていったら地元小学校

の体育用具室に潜り込むことが出来た。案内してくれた彼によると午前6時にはここをでないと用務員の人に怒られて追

い出されてしまうということだった。

「よく知っていますねえ?」と感心して質問すると

「実は今朝追い出されたばかりなのですよ。」だって、懲りない人だ。

それはともかく雨風はしのげて、中にはマットがあるので快適に一晩過ごすことが出来た。


8月6日

 朝、快晴、清々しい。今日は台風一過だ。国道244号線を走って根北峠を越えて知床半島の付け根の斜里の町に入っ

た。ここで温泉があったので屈斜路湖の砂湯温泉以来のお風呂に入った。温泉の中で地元猟友会の人達が入っていて、

色々と熊撃ちの話を聞かせてもらった。

「そうだ、兄ちゃん達。今度良いカメラを持ってきて訪ねてきな。そうしたら熊撃ちに一緒に連れて行ってあげるか

ら。」

とありがたいお誘いを受けたのだが、曖昧に答えておいた。(おお、恐〜!)

 猟友会の人達はお風呂の後で宴会があるらしいのだが、もうすでに湯船に一升瓶を持ち込んで飲んでいた。なんて豪快

な人達だ。自分たち2人にもお酒を勧めてきたのだが、まだこれから走らなければいけないからと丁重にお断りした。

 お風呂から出て網走に向かって走り、途中で見つけたバス停で野宿した。夜空は満天の星が輝いていた。星が落ちそう

だとういのはこういう事なのだなあ。N君は東京の大学で下宿生活をしているそうだ。それから彼女のこと将来のことな

ど星空の下、2人で色んな話をした。

 本日の走行距離は約90キロだった。


8月7日

 出発してしばらくすると高倉健さんで有名な映画「網走番外地」の舞台の網走刑務所に着いた。映画では番外地になっ

ているが本当はちゃんと住所があって正式には網走市字三眺官有無番地となっている。去年ここを訪れた友人がふざけて

刑務所の門の所で手錠をはめられた囚人の格好をして写真を撮っていたら門番の看守さんからこっぴどく怒られたと聞い

ていたので恐る恐る門の前で写真を撮った。しかし何も文句は言われなかったが。

 オホーツク海沿いに国道238号線を走って北上して行く。雄大なサロマ湖を眺めひたすら最北端の宗谷岬を目指し

た。紋別を過ぎて原生花園を通ったがここは6月頃が見頃で今はなにもなかった。オホーツクの海はなぜか心が暗くな

る。厳しい冬のイメージがあるからだろうか?

紋別を過ぎて走っていると海岸にテントを設営するのに手頃な場所があったので今日はここで野宿する事にした。

夕食の買い出しに寄った店のおばさんに、

「君たちは大阪から来たの?」と尋ねられた。するとN君が、

「そうですねん。」と答えるではないか。彼は確か関東出身のはずだが、いつの間にか自分の関西弁が移ってしまったら

しい。関西弁は伝染するのだった。

 実はそのN君だが、稚内に友人が居てそこで数日滞在する予定らしい。ということは稚内までの相棒という事だった。

 本日の走行距離は約120キロだった。


8月8日

 今日は自分にとって北海道において最高の走行距離になりそうだ。と言うのも今日は宗谷岬まで走ろうということにな

った。ここから約160キロの距離だった。

 どこまでも直線の長い道、そんなオホーツクの海沿いを走しり続けるがほとんど景色が変わらない。景色の変わらない

のは北海道の特徴なのだがなかなか辛い。浜頓別から今度は草原地帯になった。今度はアップダウンの道が続くが今は道

に起伏がある方が有難かった。その間、人家はほとんど無い。

途中ですれちがったサイクリストがペットにリスを飼っていた。たぶん良い相棒なのだろう、彼の気持がわかるような気

がした。

 再び海岸沿いの道を走り続けてヘトヘトになってやっとの思いで宗谷岬にたどり着いた。日本最北端の地に立った。北

緯45度31分22秒、ここは北海道の北限、いや日本の北限だ。

「やった〜!」心からの叫びだった。記念碑の前で写真を撮った。これは一生の記念になるだろう。本当によくここまで

来られたものだ、という感慨にひたる。

 今夜は記念碑の近くのバス停で野宿する事にした。日本最北の地で眠りにつくことが出来る、何て贅沢な事だろう。

今日はN君とは最後の夜になるのだが、さすがに疲れてしまってあんまり語り合う事が出来なかった。

 本日の走行距離は約160キロだった。


8月9日

 宗谷岬にもう一度立ち寄ってから稚内に向けて出発した。

稚内でN君とはいよいよお別れだった。再会を約束して稚内駅で別れた。

 ひとりぼっちになってみると、なぜかガックリと心が折れた。そして、港に行って小樽やその付近に行く船を探した。

完全に燃え尽き症候群に侵されていたみたいだ。しかし、今に思えば幸いにしてそれに該当するものはなくしかたなく再

びペダルをこぐことになった。

 無気力で何も考えずに出発したために走り出してから大変な目にあってしまった。なんと稚内の街をはずれると人家も

店も何にもないのだった。広大なサロベツ原野の中を食料も水も何にも持っていな状態で走り続けていたのだった。喉は

からから、お腹はぺこぺこの状態で50キロほど走るとやっと豊富の町に到着した。小さなお店で食料を買うことが出来

た。水も分けてもらった。特に味噌パンは美味しかった。オアシスに来たようだった。

 今日はこの近くのバス停で野宿した。もうクタクタだった。

 本日の走行距離は約70キロだった。


8月10日

 大阪を出発して今日で丁度1ヶ月たった。今日も何もない北の原野をひたすらペダルをこぐ。寂しさのゆえに少しホー

ムシックにかかっているみたいだ。これは一種の修行のようにも思えた。

「ひとり旅が好きだ」と強がりを言ってみても、本当はすごく寂しがり屋なんだなあ、と自分で思う。

 豊富を出発して国道40号線を幌延まで走りここから国道232号線で天塩まで走った。ここから再びオロロンライン

を海沿いに走る。

 今日は留萌の駅で野宿する事にした。留萌の町に銭湯があったので久しぶりのお風呂にありつけた。我ながら汚いもの

だ。大学の友人が去年北海道の牧場に長期アルバイトに行った時にあまりのもの忙しさで疲れきって1週間お風呂に入ら

ずじまいだったという話を思い出した。1枚のパンツを毎日裏表交代にして1週間も履いたそうだ。

「汚ねえ、それよりはマシかなあ。」とひとり微笑んだ。しかし、一緒に笑ってくれる人はいない。

本日の走行距離は約140キロだった。


8月11日

 留萌を出発してすぐにスポークが折れた。ついていないなあと思いながら、交換作業をしていると50CCの原付に乗

った人が声をかけてくれた。久しぶりの会話をした気がした。聞いてみると広島県から原付で走ってきたらしい。しかも

ここまでエンジンを2回載せ替えたとか・・・。

「すごい!」と驚くと、彼も自分が大阪から自転車で走って来たと聞くと

「すごい!」と驚いてくれた。お互いを称え合って意気投合した。彼、Kさんは今晩札幌まで行って駅で野宿するとい

う。それならば自分も頑張って今日中に札幌にたどり着いて札幌駅に行くからと再会を約束して別れた。

 萎えきっていた気持が俄然蘇った。札幌まではまだまだ遠かったがKさんと再会出来るという気力で何とか走りきるこ

とが出来た。札幌駅はカニ族やサイクリストやバイカーやバックパック族のたまり場になっていた。みんなここはステー

ションホテルと言って最高の野宿の場所になっていた。午前5時になると駅員さんがみんなに起きるように呼びかけてま

わるので、モーニングコールのサービス付きだと喜んだ。あまりにも多数の宿泊者(?)がいるので探し当てるのが大変

だったが何とかKさんと再会する事ができた。さすがにここで自炊をする事は出来ないので一緒に大衆食堂に行って再会

を祝した。

 本日の走行距離は約130キロだった。


8月12日

 今日は長旅の休日としてNさんも付き合ってくれた。札幌時計台に行ったり、札幌ビール園に行ってジンギスカンを食

べてビールをたらふく飲んだりして楽しい1日を過ごした。


8月13日

 北海道旅行最後の日。小樽からフェリーに乗って敦賀に帰るNさんと別れてひとり苫小牧に向かう。一緒に小樽に行っ

ても良かったのだがそれでは北海道1周が達成出来ない。稚内でリタイヤを考えていた癖にここまできたらやはり1周を

達成したいという気持が強かった。お昼過ぎには苫小牧に到着して国道36号線に合流した。ここで北海道一周を達成し

た。

 大阪を出発して34日、北海道上陸から18日やっと目的達成が出来た。

ひとりで「やった〜!」とすべての思いを込めて叫んだ。

 本日の走行距離は約60キロだった。

 函館から北海道を1周してここ苫小牧まで19日間、約1700キロを走り切ったのだった。そして大阪を出発してか

ら35日間、約2850キロだった。我ながら凄い距離を走って来たものだと感慨にふけった。


 ここからはフェリーで東京に行って中野区の親戚で3日ほどお世話になってから新幹線で輪行して大阪に帰った。

東京滞在中は秋葉原や上野、御徒町、原宿などあちらこちらをうろうろと行ってみた。原宿では真夏の暑い中で、カラフ

ルな服を着た竹の子族や革ジャンを着たロックンロール族が夢中になって踊っていた。顔も腕も足も真っ黒に日焼けした

自分とそんなに年の変わらない彼らを見ていると大きなギャップを感じた。           (了)



     なつかしのサイクル日記



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