風に吹かれて 雲に誘われて

富士さんや〜い


2003年4月5日













 毎年4月に開催されるこの大会は富士山と満開の桜という最高のスチエーションで走れるというあこがれの大会でした。
しかし、この年は国体と選挙の関係で例年よりも2週週間早く開催されてしまいました。そんな時に4月としては数年ぶりという大雪が・・・。




 私は晴男である。多くの野外行事ではかなりの確立で雨にはならない。特にウォーキング大会やマラソン大会では雨の日に参加した事はなかった。しかし、今度だけは覚悟を決めた。
まさかこのようになるとは・・・。

 2003年、チャレンジ富士5湖の100キロマラソンの部に参加を決めたのは、3回目の100キロマラソンの完走を目指して、風光明媚な富士五湖をめぐる大会に魅力を感じたからだ。雄大な富士山を眺望しながら体力の限界に挑む。おおいに楽しみにしていた。しかし、当日の天気は確実に雨だと予報されていた。雨に降られる覚悟を決めつつも自分の晴男の運にわずかな望みを託した。
 前日の4月4日晴天の中、UMML(ウルトラマラソンメーリングリスト)の仲間と4人で車を運転して大阪から富士吉田に向かった。今回いっしょに参加したメンバ−は皆、強豪ぞろいだ。30歳手前のYさんは100キロマラソンを9時間以内で完走するのが目標だと豪語するし、50歳代のTさんは富士登山レースや立山登山マラソンにも参加された事があり、唯一女性のMさん(40歳代?)は大阪国際女子マラソンの常連だ。3人の会話に私は唯ひたすらに恐縮するばかりだった。富士急ハイランドで前日受付を済ませて宿泊予定の民宿に向かった。スタートは明朝の5時なので民宿から会場の北麓公園までバスで送って頂けるようだ。雲と山麓の雪とで真っ白にぼやけた富士山が迎えてくれた。私とTさんは晴男だがMさんは雨女だそうだ。今回はMさんの力が勝ったかのように思われたのだが。

 まるでおとぎの国に来たみたいだった。さすがに標高1000メートルの富士北麓公園は冷え込んだが、景観の美しさに寒さも忘れしばらくたたずんでいた。
「当然、この大会は中止だろう。」
「やっぱり、中止ですかね?」
「これじゃあ、無理でしょう。」
周りの人の会話でふっと我にかえる。(雨じゃなかった。)そう思って、また美しい世界を見渡した。その白銀の世界を

「どうして、4月に雪が降るのだよ。」
「なんでもこの時期の積雪は20年ぶりだそうです。」
「どうも、レースは開催されるみたいですね。」
「ひえ〜、雪中行軍かよ。」
「八甲田山みたいにならなければいいが。」


 わいわいと言い合っているうちに、4時30分の117キロの部のスタート時間がやってきた。私は5時スタートの100キロの部なので、先発隊を見送ることにした。降りしきる雪の中、真っ暗な闇の道を約400人のランナ−がかけだしていった。
「がんばって、転ぶなよ。」
 そして、いよいよ100キロの部のスタータだ。司会者の女性がやけに元気だ。
「雪が降ろうが、槍が降ろうが走りぬくぞ!5キロも走れば雪はなくなるよ。ファイト!」
私は長袖のTシャツとランニングパンツ、その上に上下のトレーニングウェア、さらにその上に上下の雨合羽をといういでたちだ。この寒さの中でさすがに透明のビニール袋(ゴミ袋)は被ってはいるがランニングシャツとランニングパンツだけの人がいた。途中で凍ってしまわなければよいが。
「ぼちぼちといきましょうか。」
昨日、同室だったKさんが声をかけてきた。なんと彼は傘をさしているではないか!
「100キロずっと傘をさしたまま走るのですか?」
「ええ、まあ慣れていますから。」
世間には色々な人がいるものだと感心した。

 スタートの号砲とともに100キロの部のランナーが動き出した。新雪のなかに何条かの道筋が見える。先行していったランナー達が残してくれたものだ。その道筋の上を慎重に走る。それでも、足がとられ滑りそうになる。富士北麓公園から山中湖にむかって山を降りていく。5キロ地点をすぎたが、雪がなくなるどころかどんどん積もってくる。いっこうにやむけはいがない。積雪20センチくらいか?
 10キロ通過。忍野村を通る。ここからの富士山の写真が有名だ。しかし、富士山はどこだ?灰色の空がひろがっているだけだった。前を見ると赤い雨合羽を着た10歳くらいの女の子が声援してくれていた。ハイタッチをして通りすぎる。
やはり天候のせいだろうか、なんとなく体が重い。それに道を選び滑らないようにふんばりすぎたのか足の甲の部分に痛みが出てきた。(今回は途中でリタイヤするかもしれないな。)そんな弱気な思いがよぎる。山中湖が見えてきた。大きな湖だ。どこまでも黒く暗い湖面。今の気持ちみたいだ。
公衆トイレがあったので取りあえず休憩する。鏡に写った自分の姿にふきだした。雪だるまだ。全身の雪をはたき落として出発する。
20キロ地点、午前7時頃だ。段々車が増えてきた。歩道を走るときは良いのだが歩道のない道は車が横をすり抜けると怖い。まして、この雪道では。何度も泥雪を跳ねていってぶっ掛けられる。ゆるやかな上り坂をすぎやがてサイクリング道路に入った。湖畔を走ると湖からの風が冷たい。体が冷えてよけいに気が滅入る。

 25キロすぎのエイドステーションで給水を受けようと近づくと何がざわめいている。スタッフの人が何か言っているようだ。
「今回は47キロ地点がゴールに変更されました。」
「えっ、それって中止って事なの?」
 「早くいえばそう言う事です。」
「あ〜あ、気力が抜けた。」
「よかった、よかった。これじゃあ走れないからな。」
文句を言う人がいれば安堵する人もいた。私は正直、安堵したほうだった。(あと20キロなら何とか持ち堪えるだろう。)足の甲がかなり痛んでいたのだった。
「どこから来られたのですか?」
同年代くらいの人から声をかけられた。
「兵庫県の川西市からです。お宅は?」
「大阪の枚方からです。」
同じ関西人という事もあって何となく気があった。しばらく色々と話をしながら並走した。おかげで少しは気持ちが楽になった。彼は一人で枚方から車で来たそうだ。そして、明日は仕事があるのでレースが終わればそのまま運転して帰る予定らしい。タフだねえ!
山中湖を一周して朝走ってきた忍野村の道を逆に戻り河口湖に向かう。どこかで使い捨てカメラを購入しようと思っていたので途中のコンビニで彼とは別れた。コンビニでカメラを買って熱い缶コーヒーを飲んで再び出発した。ここから、また一人旅だ。
 35キロあたりから富士吉田の町中を走る。歩道は狭く足元が悪い。下水道の金網の蓋に足を取られて何度も転びそうになる。足元ばかり気にしていると、雪の重みで垂れ下がった街路樹の枝で顔面を打つ。下を見て、飛び越えて、上を見て、枝を避けてしゃがんでと、まるでアクロバット走行だ。町の中を歩いている人はいない。我々だけが黙々と走っている。そして、先行したランナーが付けてくれた一本の轍の上を行くからみんな一列になって前へと進む。誰かが言った。
「まるで、新興宗教の修行みたいだね。」
 

 38キロのエイドステーションでおにぎりと熱いお茶を頂く。この寒い雪の中、ボランティアでスタッフをして下さる方々に頭がさがる。
「がんばって!」
と声援に送られてのろのろと出発する。一度止まるとなかなか走り出せない。
ゆるやかだが長い坂道が続く。なぜか調子があがらない。疲労感に包まれる。そんな時、後ろから声を掛けられた。
「やっと追いついた。」
傘をさした人が走ってきた。Kさんだった。
「本当にここまで傘をさしてきたのですか?」
「ええ、慣れていますから。」
凄い人だ。
「ところで、後ろの方ですが、あまりいませんよ。」
「ええっ、確かに多くの人に抜かれているが、反対に何人かは抜いているので最後尾じゃあ無い筈ですが。」
「いや、リタイヤしている人が多いのですよ。それじゃあ、お先に。」
そう言い残して傘をさしたまま行ってしまった。気持ちだけが焦った。
長い坂道が終わり河口湖大橋を渡る。河口湖が見えてきたのだからもっと感動しても良い筈だが、唯々黒い湖面に気分が沈む。42キロ地点のエイドステーション。やっとフルマラソンの距離だ。ランナーは誰もいない。(もうここで充分だ。)そんな思いがよぎる。しかし、ボランティアの人に水と飴を頂いてまた出発する。
「あと5キロ、がんばって!」
「ありがとう、行けるところまで行ってきます。」
美術館とか猿まわし劇場とかが並んでいる。「お猿の横断注意」という看板も見受けた。
湖畔の道に入っていく。普段5キロなんて何ともないと思っていたのになんて長い道程だ。足の甲は腫れあがり靴の中はびしょ濡れで指先は感覚がない。走っているのか歩いているのかわからないようなペースで進む。町の中に入ってやっと47キロ地点のエイドステーションらしき建物が見えてきた。その時、後ろからペースを上げてきたランナーに抜かれた。(まだ後ろがいたのだ。)なぜかほっとする。しかし、追いつこうとは思わなかった。ゆっくりと最後のゲートをくぐった。
「お疲れさま、今回はここがゴールです。」
感動も何もなかった。終わってみると不思議と疲労感もなかった。ただ足の甲の痛みと寒さだけが残った。約6時間何だったのだ。過去2回100キロマラソンに挑戦して、2度とも完走しているが、今回は最悪の状態だ。たぶん、ここでレースが中止になっていなければ間違いなくリタイヤしていただろう。

 待機所の会館に入ると多くのランナーが向かえのバスを待っていた。雪で車が渋滞してなかなかバスが来ないらしい。
中間点用に預けておいた荷物を受け取ったが、Tシャツとタオルぐらいしか入っていない。まさかこんな状態になる事など想定していないのでびしょびしょの物を着がえる事ができない。靴下も入れていなかった。そうしたら、隣で着がえていた60歳くらいの人が見かねたのか、
「新品じゃあないですが、ちゃんと洗っていますからよかったらどうぞ。」
と、いって靴下をわけて下さった。
「ありがとうございます。」
本当に有り難かった、最高の参加賞になった。

 なかなか来ないバスをまっていると、傘をさして走っていたKさんと出合った。彼は腕をさすりながら言った。
「腕が動かないのですよ。」
(そりゃそうでしょ、この雪の中6時間も傘をさしていれば。)と心の中でつぶやいた。
やっと来たバスにゆられ富士北麓公園の会場に付けば、事前に申し込んでいたアフターランパーティがすぐに始まるという事で、着がえている時間もほとんどなく、しかたがないので富士吉田行きのバスに乗り込んでから着がえた。
パーティはバイキング方式だったので、お腹一杯に詰め込んだ後、今晩の民宿での宴会用のも少し(?)拝借して鞄に押し込んだ。
パーティが終わり民宿行きのバスの中で見覚えのある人にであったが、すぐには誰だか思い出せなかった。
「去年、しまなみ海道を走ってきなのですよ。」
と、言うその人の言葉で思い出した。
去年のしまなみ海道100キロマラソンの前夜祭で前の席に座っていて、しまなみ海道の橋の階段の具合を尋ねたら
「知らないほうがいいよ。」
と、アドバイス(?)をしてくてた人だった。その節はどうも有り難うございました。
民宿の部屋での宴会は大いに盛り上がった。知らない者どうしでも同じ趣味を持つ連中との酒盛りは楽しいものだ。
 

 翌朝は絶好のお天気に恵まれ、最高の富士山を望むことができた。あまりにも悔しいので乗り合わせて来たUMMLの仲間と「今年の反省および来年の検討ツーリング」と名を打って富士5湖めぐりのドライブを楽しんだ。
「今度こそ、その笑顔で迎えてくれよ、富士山や〜い。」




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