風に吹かれて 雲に誘われて

東北縦断自転車合宿


 やっと梅雨が明けた。雨が降っていても出発日には変更はないがやはりこれからの長い旅路の初日は晴れていたほしか

った。

 今年の自転車部の合宿は新潟を出発して青森の十和田湖までを東北縦断するというもので、7月15日に新潟駅に集合

する予定になっていた。新潟駅までは各自で好きづきに行けば良いことになっていたので、東北合宿の後で北海道も1周

する予定だった自分としては、何としても自分の力で自転車をこいで新潟まで行きたかった。そして自転車の装備はとい

うとほとんど野宿をして朝と夜の食事は出来るだけ自炊すると決めていたので、フロントバッグと前輪、後輪の両サイド

に4つのサイドバッグ、それからサドルにシュラフを吊って合計で50キロを越える荷物だ。さすがにペダルが重い。


7月10日

 梅雨が明けた空は晴れ上がって、大阪の衛星都市にある大学のキャンバスの蝉がここぞとばかり鳴いていた。午前10

時に自転車部の部室から部員数人に見送られていざ出発だ。彼らもそれぞれの方法で新潟に行く。新潟まで電車で輪行し

て行く者、名古屋まで電車で輪行して信州を旅行してくるもの、佐渡島を訪ねる予定の者など様々だ。

 国道1号線を走って京都に向かった。産業道路だけあって車は多い。木津川を渡って東寺の交差点から九条通を滋賀に

向かった。夏の京都の街は蒸し暑い。それに観光都市だけあってタクシーが多い。タクシーの運転は自転車にとっては注

意しなければいけない。と、いうのもお客を見つけたらいきなり左によって急停車するので危うくぶつかりそうになった

ことが何度もあった。でも、そんなことを割り引いても京都は情緒があって好きな街だ。

 滋賀県に入って逢坂峠を下ってから1号線と別れ浜大津で琵琶湖に出た。琵琶湖は日本最大の湖なのでその大きさには

圧倒される。どう見ても海にしか思えない。

浜大津から琵琶湖の西岸の国道161号を北上して行った。琵琶湖岸を自転車で走るのは初めてだったので琵琶湖が大き

な海に思えてならない。

左手に比良山を眺め有名な雄琴温泉を横目で見ながらどこまでも行く。思わず琵琶湖周航の歌が口ずさまれる。

〜我は湖の子 さすらいの 旅にしいあれば しみじみと のぼる狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば〜

 近江今津のキャンプ場でテント設営した。ここで初めての宿泊となる。そして琵琶湖周航の歌の3番はこんな曲だ。

〜浪のまにまに 漂えば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ浪枕 今日は今津か 長浜か〜

 まさにこれから今津に泊まろうとしている。旅心をくすぐる歌詞だ。こらからの道程を考えると何だか楽しくなってき

た。

 本日の走行距離は約100キロだった。


7月11日

 朝食は近くのパン屋で食パンを買って頬張った。本当は自炊するつもりだったのだが、気持が先に行かなくてはと焦っ

ていたので早々に出発したのだった。

 マキノに出てから湖西から別れ峠越えで敦賀に向かう。敦賀からは新日本海フェリーが運航していて新潟にも便があ

る。これでいけたら楽なのになあ、なんて一瞬考えたりした。しかし、気を取り直して敦賀から日本海沿いに国道8号線

を走った。いよいよ日本海だ!この大きな海を眺めていると何だか心が洗われるような気がした。

 サイクル部の部員ではないが友人達2人が九州の最南端の佐多岬から北海道の最北端を目指して自転車で走っていた時

に、日本海に沈む夕日を眺めながらひげ面の男2人が感動の涙を流した、という話を思い出した。確かにそんな気持にさ

せてくれるのだろう。

 しばらく国道8号線を走ってから日本海沿いにいく県道305号線に入った。

 越前海岸沿いにアップダウンが続いた。やがて越前岬に着いた。海岸は海食崖といわれる海に浸食されて切り立った崖

になっていた。そこからの見えた海の色はコバルトブルーだった。

 海岸線のアップダウンを走り続けて、三国町に入った頃にはそろそろ今晩のねぐらを探さなければいけないなあ、と思

っていたら、まさに今晩の宿にふさわしい手頃なバス停を見つけた。雪国のバス停は小屋になっていて寝床には最適だ。

それでも、最終バスが出る10時くらいまでは待っていないと行けない。取りあえず途中の店で仕入れた材料で夕食の準

備にかかる。周りには何にもなく夜は聞こえてくるのは蛙と虫の鳴き声だけで静かすぎるくらい静かだ。

 本日の走行距離は約100キロだった。


7月12日

 午前5時に起床。始発バスは5時半だったのでそれまでには出発しないといけない。今朝も昨日の食パンの残りを頬張

ってから出発した。

 県道305号線から芦原温泉を通って国道8号線を走って、石川県に入ってからはさらに加賀温泉など北陸の温泉街が

続く。やがて金沢に着いた。金沢は北陸の小京都といわれ久しぶりに都会に帰ってきたような気分になった。でも、大阪

などと違って落ち着いた情緒ある町並みだった。冬に来たら綺麗だろうなあ。

 金沢からさらに国道8号線を走って小矢部市、高岡と通り抜け、能登半島の付け根を過ぎた。時間があれば能登半島も

行ってみたかったのだが今回は先を急ぐ。

 やがて富山県に入った。ここから国道8号線を離れて海沿いの県道を走った。富山湾からは蜃気楼が見えないかなあ、

と目をこらしてみたがそれらしい物は何もなかった。

 魚津の町で夕食の買い物をして再び国道8号線を走った。そろそろ今晩のねぐらを決めなければいけないのでゆっくり

と探しながら走った。昨日のバス停が快適だったので同じようなバス停を探した。すると黒部の町に差しかかったところ

で手頃なバス停があったのでそこに決めた。

 夜は蒸し暑くてなかなか寝付かれなかったのだが、国道沿いのため夜中でも車が多く走っていた。その車が通りすぎる

たびにうるさかったのだが、風がバス停の中に吹き込んできたのでそのたびに暑さが少し和らぎ、いつの間にか眠りに落

ちていた。

 本日の走行距離は約150キロだった。


7月13日

 午後5時に起床、すぐに片付けて旅立った。やはり始発バスが来る前に出発するのがマナーだ。

 昔は難所中の難所と言われた親知らず子不知を通って行く。国道8号線となっている現在でもなかなか大変な坂道だっ

た。でも、しっかりと道があるだけでも大違いだろう。

 糸魚川を渡って日本海沿いにひたすら走る。直江津市を越え柏崎に着いた。ここで朝出発してから約120キロだっ

た。いつもならそろそろ今晩の宿を考えてゆっくりと走る距離だが、出来ることなら今日中に新潟駅に到着したかった。

 国道8号線をさらに北上していくと段々と日が暮れてきた。いくら国道でも道は暗くほとんど街灯は無い。やがて辺り

はまっ暗になってきた。遠くに人家の明かりがそれもぽつんぽつんと見えるだけであとは何もない一本道だった。今日は

かなり長時間走っているので疲労も溜まってきた。重たい自転車を真っ直ぐ走らせる力が段々と無くなって来たときに遙

か彼方の前方に大きな街の明かりが見えてきた。

そこで初めて大西洋単独飛行で渡ったリンドパークをまねてこう叫んだ。

「チャリンコよ、あれが新潟の灯だ!」

冗談を言えるくらい回復してきて、午後9時にやっと新潟駅にたどり着いた。

今日の走行距離は約200キロ、過去最高の走行距離だった。

大学のキャンバスを出発してここまで約550キロだった。


7月14日

 午前5時、新潟駅で目が覚めた。もう5時起きが身に付いていた。昨日はヘトヘトになって新潟駅にたどり付き、さす

がに自炊も出来ず、まだ営業していた食堂でカツ丼を食べて駅の前で転がるように寝たのだった。しかし、タクシー乗り

場に前だったので車のヘッドライトで何度起こされたことか。まだ、眠たかった。

 売店でパンを買ってきて朝食とした。明日がクラブの集合日だったので今日一日はのんびりとここで滞在する。まずは

洗濯が必要だったのでコインランドリーを探して大量の着替えを洗濯した。夕方までは近くを観光して過ごしたが、午後

3時からは大事な用があった。何といっても出発してから一回もお風呂に入ってなかったので銭湯を探して体中の垢を落

とさなければいけなかった。

 銭湯で体を洗って湯船に飛び込んだ時に足の太ももの日焼けの痛みに飛び上がった。ずっと半パンを履いていたので真

っ赤に腫上がっていたのだった。

 銭湯を出てから新潟駅に戻ってみると徐々に部員が到着していた。その夜は久しぶりににぎやかな野宿になった。


7月15日

 午前9時、クラブ員16名全員集合した。お互いの行程を話し合い大いに盛り上がった。

 部長の善さんの挨拶があって、前もって分けていた4人ずつ4組みの班に分かれた。班ごとにそれぞれ前もってある程

度のコースは決めていたので、一旦ここで解散となる。

 我班は自分が3回生なのでその班のリーダーとなり、あとは2回生1人、1回生2人の構成だった。

 出発の準備が出来た班から時間差で出発して行った。いよいよ夏合宿の始まりだった。自分が先頭を走り、その次に1

回生のKとMの2人が続き、最後に2回生のSが続いた。

 新潟駅から国道49号線、通称「若松街道」を走った。道はやがて阿賀野川沿いに出てしばらくは川沿いに走る。津川

で会津若松に行く国道49号線から別れて阿賀野川に喜多方に向かう国道459号線を走った。阿賀野川から離れ杉木峠

を越え山都町に入った。

 給水のために止まっているとそこの前の家の人が声を掛けてきた。話を聞いてみると今晩そのお宅の庭にテントを張っ

て泊まっても良いとのこと。

 喜んでお言葉に甘えてテントを設営しようとするとそこにパラパラと雨が降ってきた。するとそのおじさんが気の毒が

ってくれてお宅の玄関の土間に寝てもいいと言ってくれた。玄関の土間といっても田舎作りの家なのですごく広い。本当

に感謝感激だった。

 夕食を済ませてから土間でおじさんを囲んで持参のトリスウィスキー回し飲みしながら話し合った。我々は今後の予定

だとか今までの合宿の話をした。そしておじさんは東北地方の猟師でいわゆる「マタギ」と言われる人で、猟に出るとき

には何日も獲物を追って山に入るとか、その時の食事はどうするとか興味のある話を聞けて楽しい一時を過ごす事ができ

た。

 本日の走行距離は約100キロだった。


7月16日

 朝食を自炊して済ませ、マタギの家族の人達に見送られて出発した。その時におじさんが喜多方にいる知り合いの自転

車屋さんに連絡しているから立ち寄るようにと言ってくれた。

 喜多方の町に入って紹介された自転車屋さんに行ってみると、そこでも大歓迎を受けて色々と話を聞かれた。そして

我々4人分の喜多方ラーメンを出前で取り寄せてくれた。昨日といい今日といい本当に素晴らしい接待を受けたものだっ

た。

 喜多方ラーメンをご馳走になったあとお礼を言って出発した。国道459号線で裏磐梯の桧原湖に向かい桧原湖にでて

からは湖畔沿いに時計の逆周りに南下して県道2号線に移って北上する。今日は湖畔のキャンプ場でテントを設営した。

 食事の準備はというと1回生は米をといだり、材料を切ったりして下準備をする。2回生は責任を持ってご飯を炊く。

そして自分は最後の味付けを担当するという縦割りの分担だ。そして合宿中は原則的にはお酒は飲まない。しかし、例外

は多かったが・・・。

 本日の走行距離は約30キロだった。


7月17日

 キャンプ場を出発して、県道2号線を走っていくとやがて標高1400メートルの白布峠にさしかかった。重量級の自

転車にはかなり厳しい登り道だったが、何とか踏ん張って自転車を降りて押すことなく峠にたどり着いた。ここは今回の

 合宿での最高地点だ。峠からは磐梯山や桧原湖が望めた。峠を越えて豪快なダウンヒルを飛ばして山形県に入った。

米沢の街に入って大衆食堂で昼食を済ませてから出発するときに食堂のおばさんに、

「君たちは明るいね。」と言われた。褒められたのだろうか?

 米沢からは国道13号を走って山形市に向かった。山形市内をぬけて県道に入って立石寺に行った。

 ここは松尾芭蕉の「閉けさや岩にしみいる蝉の声」で有名な山寺だ。夏の暑さを忘れさせてくれるくらい涼しい所だっ

た。お寺を見て回ってから駐車場の隅にあった便所の軒先を今日の宿にする事にした。

〜閉けさや目にしみいる便所まえ〜

 本日の走行距離は約80キロだった。


7月18日

 山寺の朝の空気は清々しかった。観光客が来る前に山寺をさっさと出発して将棋の駒で有名な天童市に入った。大きな

将棋の駒が道端に飾られていた。

 天童市から国道13号線を走って尾花沢市に入った。ここから県道に入って山刀伐峠を越える。山刀伐峠は「奥の細

道」でも最大の難所とも言われていたそうで、峠の形状が、山仕事や狩りの際に被った「なたぎり」に似ていることから

名付けられたものであるが、刀を持った山賊に身包みを剥がれる危険な峠であったことに由来するという説もある。現在

では山刀伐トンネルがあり、旧道は歴史街道として残されていた。峠道を下って赤倉温泉を通ってから国道47号線を5

キロほど走って行くと堺田の町に着いた。

 ここには芭蕉が3日間逗留して「蚤虱馬の尿(バリ)する枕もと」の句を残したことで有名な封人(ほうじん)の家が

あった。入館料100円を払って見物する。創建300年程経つそうだがよく残っていたものだ。

 鳴子の町に入った。ここはさすがに「鳴子こけし」で有名なだけあって、街中のお土産屋さんには「こけし」だらけだ

った。また鳴子は温泉街なので新潟以来のお風呂にも入ることが出来た。

 今日は夕方の4時に鳴子の町でクラブ全員が集合する予定になっていたので、鳴子の駅前でみんなが到着するのを待っ

た。

 今日は全員が集まってから国道108号線を12キロほど走って吹上温泉の近くのキャンプ場にテントを設営した。久

しぶりににぎやかな野営になった。

 本日の走行距離は約85キロだった。


7月19日

 再び班で行動するためにまた別れて行った。国道108号線を走っていくと延々と続く登り道になりやっとの思いで標

高820メートルの鬼首峠を越えるといよいよ秋田県だった。

 湯沢市から国道13号線を走って横手市に到着した。今日は横手城公園の休憩所で野営することにした。もともと横手

城には天守はなかったのだが、昭和になってから郷土資料館として二の丸跡に模擬天守が建築されたそうだ。

ここをベースにしてから町に出てコインランドリーと銭湯を探した。今日もお風呂に入れるという幸せを実感した。

本日の走行距離は約70キロだった。


7月20日

 今日の予定行程はそれほど距離がないので、横手の町のバザーを見学したりしてから出発した。

 国道13号線から県道11号線の羽州街道を走って角館に入った。角館は「東北の小京都」と呼ばれ芦名氏によって築

かれ江戸時代は佐竹氏によって引き継がれた。角館の町ではゆっくりと藩政時代の面影を残す武家屋敷を見学した。

 角館からは国道46号線の角館街道を走って田沢湖に向かった。

 田沢湖では竜になったとされる辰子伝説の辰子像を見学したりして湖畔を巡った。田沢湖は日本一深い湖で最大深度は

423.4メートルだそうだ。今日は田沢湖畔のキャンプ場にテントを設営した。

 本日の走行距離は約60キロだった。


7月21日

 キャンプ場を出発して国道341号線を八幡平に向かった。この途中に玉川温泉があった。ここは有名な湯治専用の温

泉でなかなか飛び入りでは宿泊できないらしい。

 でも、2回生のSが「ダメもとでも聞いてみたい。」と言うので管理室で聞いてみた。すると偶然に今日の昼から1室

だけ空くというではないか。空模様も怪しかったのでたまには有料の宿もいいだろうと言うことで1泊お願いすることに

なった。後でSに聞くとこの温泉での湯治をするのが夢だったと言う、若いのに何で?

 湯治宿には自炊場があり、そこで夕食の準備をしていると湯治に来ている人達(ほとんどがお年寄りだった)が声を掛

けてきた。方言がきつくてなかなか聞き取れなかったのだがこんな所に泊まる大学生が珍しかったのだろう。部屋に帰っ

て食事をしていると何人もの人が差し入れを持ってきてくれた。おかげでお腹がいっぱいになった。

 今日はゆっくりお風呂に入って久しぶりに布団で寝ることが出来た。

本日の走行距離は約40キロだった。


7月22日

 今朝は朝からかなりの雨が降っていた。明日が八幡平のキャンプ場での集合日なので一日余裕がある。無理に豪雨の山

道を走ることもないのでもう一泊延長して湯治に専念することにした。案の定、一日中雨が降り続いたのでのんびりと温

泉に入って旅の疲れを落としたのは正解だった。後輩達もすっかりここが気に入ったみたいで、特に夢がかなったSは大

満足だった。なんだかずっとここで湯治していたい気分になった。

すっかり仲良くなったお年寄りの人達は今晩もおかずの差し入れを持ってきてくれた。


7月23日

 湯治を終えてスッキリした体で、仲良くなった湯治しているお年寄りに送られて元気に出発する。国道341号線をの

んびりと走ると南部富士と呼ばれる岩手山が望まれた。八幡平は高原地で多くの沼や湿原が点在する。今日はここで再び

クラブ全員が集合するのでここのキャンプ場で待機する事になった。

 本日の走行距離は約30キロだった。


7月24日

 今日は合宿最終日だ。16名が一列になって十和田湖に向かって出発した。

国道282号線から十和田南で国道103号線を走って十和田湖を目指す。

 秋田道から分かれ十和田道の登り道の途中で2人連れのサイクリストと出会った。ふっと見るとその一人に見覚えがあ

った。そして、お互いに「あ〜っ」と叫び合った。何と一年前の南九州自転車旅行の時に長崎のユースホステルで知り合

って熊本まで一緒に走った東京の大学生のYさんだった。何という偶然!2人で一年ぶりの再会を喜びあった。

 連れの人は途中で知り合った元自衛官の人だという。今晩、我々は合宿最後の打ち上げを十和田湖の湖畔のキャンプ場

でするので一緒に参加してはどうかと誘った。

彼らは快諾してくれたので、一緒に走ることになった。

 十和田湖はカルデラ湖で秋田県の青森県の県境になるが正確な境界は江戸時代から未だにはっきりしていないらしい。

有名な高村光太郎の「乙女の像」を見たりしながら子の口キャンプ場に向かった。

 ここでビールやお酒やつまみになる食料を買い込んで宴会の準備をした。部長の善さんの挨拶と乾杯の発声の後、特別

ゲストの2人を加えた18人による盛大な打ち上げ会が開催された。

 どこでもそうだが、大学のクラブの打ち上げは滅茶苦茶なものだ。今回もその例にもれず悲惨なことになった。

 本日の走行距離は約50キロだった。


7月25日

 子の口キャンプ場のあちらこちらに死体が転がっていた。

十和田湖殺人事件・・・・。事情の知らない人が目撃したらそう思っただろう。

 昨日の宴会で無事にテントにたどり着けたのは数人でしかなかった。ほとんどはテントに着く前に力尽き意識を失って

朝を迎えていた。

 自分は意識朦朧ながら無事にテントに潜り込んでいた。しかし、二日酔いに襲われて頭痛とむかつきで気持が悪かっ

た。そして、部長の善さんはしきりに自分の顎を撫でながら誰に殴られたのだろうと考えていた。しかし、犯人らしき人

物はすぐに判明した。2回生の1人がなぜか拳が腫れているという。

 Yさんと元自衛官の人はこれから秋田に向かうそうだ。合宿は取りあえずここで解散なので、二日酔いが酷くてここで

もう一泊していくという数人を残して別れ別れに旅立った。

 青森を目指す4人は素晴らしい景観の奥入瀬渓谷を走りぬけたが、二日酔いで頭痛がして気分が悪いので楽しんでいる

状態じゃあない。息を切らして八甲田越えの山道を登って行く。するとあんまりにもきつい登り道にいつの間にか二日酔

いがどこかに行ってしまったみたいだった。坂道を登り終えた展望台ではかなり頭痛は治まり気分も治まったみたいだ。

しかしまだ食欲は無く朝から何も食べていなかった。しかし、そんな状態でよく八甲田山を越えることができたものだ。

八甲田山は映画「八甲田山」を観ていたのでぜひとも訪れてみたい所だった。しかし、空腹の二日酔い状態なのに自転車

で越えるなどひとつ間違えると映画と同じように死の彷徨になるところだった。

 青森駅前ではねぶた祭の準備をしていたので、組み立て中のねぶた提灯を見学することが出来た。それから青森駅から

電車で輪行して帰っていく2人を見送ってから、北海道に渡る善さんと2人で青函フェリー乗り場に向かった。

 本日の走行距離は約60キロだった。そして、大学のキャンパスからここまで約1150キロだった。

いよいよ北海道上陸だ!                           北海道自転車旅行


なつかしのサイクル日記



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