風に吹かれて 雲に誘われて

南九州自転車旅行


今回は高校の時からの友人のU君を誘っての自転車旅行だった。彼は自転車旅行の経験が全然ないので自信がないからと

嫌がっていたのだが、

「九州の海岸を走るからそんなに坂道はないので大丈夫だよ。」とだましてまんまと承知させたのであった。そのかわり自分がテントと

自炊道具一式を持つことになった。

  8月16日、大阪南港から宮崎の日向行きフェリーに乗船した。輪行して電車で行くよりも船はそのまま乗れるので楽だ。

船に乗ったら長野県からバイクで九州を旅行する予定の20代半ばの男性と、大阪での仕事をやめて宮崎の実家に帰るという

20歳の女性と知合った。4人で甲板に出て写真を撮ったり、大部屋でトランプをしたりしてワイワイと楽しい船旅を過ごす事が出来た。

幸先の良い旅でだった。


 8月17日、船を下りてから4人で写真を撮ってから別れた。さあ、これからはU君と二人道中だ。お天気は少し雲があったが爽やかに

晴れ渡っていて絶好のサイクリング日よりだ。国道10号を南下して日南に向かう。私が先頭でU君が後、出発してから30分程走ってから

後ろに声をかけた。

「調子はどうだい。」

「・・・。」

返事がないので振り返ってみるとどこにも彼の姿はなかった。かなり遅れているらしい。でも、まだ登り道も何にもなかったので

私は全然気が付かなかったのだ。しばらく待っているとヘトヘトになってやっと追いついてきた。やっぱり経験がないと辛いのだろう。

 それからはゆっくり走ったのだが、やっぱり遅れ気味になるので何度も停車して待つ。無理矢理連れ出した事に責任を感じる。

そんなこんなで走っていると東京から来たというサイクリストのT君と知合った。彼は我々より1年後輩の大学生だった。話をしていたら

気があったのでしばらく同行する事になった。

 宮崎市を通過して青島に着いた。さすがに観光地だけあって人が多い。青島を1周してから堀切峠を登る。ここからの眺めは

南国独特の異国情緒あふれるものだった。ここからはアップダウンの連続なのでマイペースで走らせてもらうことにした。

T君の装備はフロントバッグと4つのサイドバッグといったフル装備なので自転車がとても重そうだ。だから坂を登るペースは遅くなる。

ちょうどU君と2人で良いペースで走ってくれるので自分としては助かった。だから適当に自分のペースで走って少し待つというのを繰り

返したら良いのだ。

 午後6時に日南海岸ユースホステルに到着した。キャンプするというT君は少し離れた所にあるキャンプ場に行った。初めて

自転車旅行を体験したU君はかなり疲れているみたいだった。

 午後8時頃、ユースホステルでの食事も終わったのでポテトチップスと缶ジュースを持って差し入れにキャンプ場に行ってみた。

いつの間にか外は雨になっていた。キャンプ場とは名ばかりでまっ暗で何にもない広場にT君のテントだけが1つ建っていた。

「T君、雨の中ご苦労様です。」と言うと、

「いやあ、慣れてますから。」だって、さすが!


  8月18日、午前8時にユースホステルを出発してT君の落ち合って再び三人旅だ。旅は道連れ、世は情けだね。

 南郷町を抜けてからどんどんと南下する。アップダウンがより厳しくなってきた。今日も2人にペースを合わせて走ってもらい一人先行した。

「どこが九州の海岸線は坂道が少ないねん!」とぼやいているU君が想像される。

 途中で左折していよいよ都井岬を目指す。11時頃に都井岬の灯台に到着した。3人で灯台を見学してから、自転車に乗って

走りだそうとしたら左後ろに何か雰囲気を感じて振り返った。

「わっ!」思わず声を上げてしまった。そこには長い顔がむしゃむしゃとやっていた。ここは野生馬がいっぱいいるのだ。

でも、こんなに間近にやってくるとはビックリした。馬の写真を撮ったりして、しばし馬とたわむれてから岬を後にした。

 串間市に到着したらT君に誘われて今晩はこの近くのキャンプ場でテントを張ることになった。3人で自炊をして、まずは3リットルの

生ビールの樽で乾杯した。T君とはここで別れる事になっているので最後の乾杯だった。

 気持ちの良いペースで飲んでいると生樽がなくなってしまい、それから缶ビールを何缶も飲んだ。結局、ユースホステルに泊まるよりも

高くついたが楽しかった。

 ワイワイと飲みながら盛上がっていると、近くで子供会のキャンプに来ている子供達がやってきた。

「どこから来たの?」とか「何できたの?」とか「どこまで行くの?」とか質問攻めにあった。すると一人の生意気そうな男の子が、

「ようするに落ちこぼれやね?」なんてぬかしやがった。


  8月19日、朝から雨。出立から違う道を行くT君とはなごり惜しいけれどここでお別れだ。「別れの雨」っていうと何だかロマンチックだね。

ここからはまたU君の二人旅だ。

 雨の中、ポンチョをかぶって走り出すがしだいに雨が強くなり、やがて雷雨になってきたのでとても走れる状態じゃあなくなってきたので、

歩道橋の下でしばらく雨やどりする。

 今日もキャンプをする予定だったのだがこの様子では出来そうにないので、急遽「桜島ユースホステル」に予約の電話をした。

 雨が小降りになってきたので出発をしたら、いきなりピッカ、ド〜ンと雷がかなり近い所で落ちた。冷や冷やな思いで走った。

 鹿間町を抜けてからしばらく行くと海岸線の道に合流して桜島を目指して走った。垂水市を通ってしばらく行くとやっと桜島に到着した。

ポンチョをかぶって雨の中をひたすら走るのは気が滅入ってくる。

 午後4時にやっと桜島ユースホステルに到着した。今日はさすがに疲れた。ここのユースホステルは人気があるらしく宿泊者が多くて

その割にはお風呂が小さかったので何人もが並んでいた。疲れていたのと面度くさいので「最後でいいや」っと思っていると使用時間が

過ぎてしまった。結局、風呂無しで寝るはめになってしまった。


  8月20日、桜島を北周りに走って島の西端からフェリーで鹿児島市内に入った。市内を通り向けて薩摩半島を横断して東シナ海を目指す。

峠越えの登り道の途中で眠たさからウトウトとなってしまった。昨晩、午前1時頃までトランプをしていたのが悪かったみたいだ。

 午後2時に吹上浜キャンプ場に着いた。テントを張ってからすぐに海パンに着替えて海に飛び込んだ。ここしばらくお風呂に入れていないので

気持ち良かった。

 その夜は自炊でまた3リットルの生樽の生ビールで乾杯をした。


8月21日、テントにたたきつけられる激しい雨の音で目が覚めた。テントを砂浜に設営していたので水はけが悪くグランドシートの下にかなり水が

浸水していた。慌てて荷物をテントの中心部に移動させる。しかし、かなり濡れてしまっていた。

 夜が明けるとさっさとテントを片づけてここを撤退した。朝から激しい雨の中を憂鬱な気持ちで出発した。今日は距離を延ばしたかったのだが

この雨ではとてもキャンプは無理なので長島に渡った時に民宿を探して宿泊した。少し疲れが溜まってきたのでたまにはゆっくりとしてみたかった。 

 さすがにユースホステルと違って食事はお魚中心でとても美味しかった。思わず芋焼酎を5杯も飲んでしまった。


8月22日、民宿に泊まったので少しは疲れが取れたような気がする。それでも空は雨。

 港からフェリーで天草の下島の牛深市に渡ってから北上した。本渡に着いた頃にやっと雨があがった。本渡でうどんを食べたのだが

関西人の我々にとっては出汁の味は美味しいのだが醤油がやたら濃くて辛かった。

 本渡から新しく出来た道があるというので畑の中を走るきれいな道をひたすら富岡港に向かって走った。だらだらと登り坂が続きトンネルを

いくつか通って午後2時に富岡港に着いた。ここから長崎の茂木港にフェリーで渡るのだが午後5時半まで船がない。一日3便しかないので

しかたがないか。結局、午後5時半に富岡港を出航して茂木港には午後7時に着いた。ここから暗い登り道をひたすら走って長崎の市街地に

入った。さすがに坂の街だけあって結構勾配のきつい坂が多い。午後8時にやっと長崎南方園ユースホステルに到着した。このユースホステルで

連泊して明日は長崎観光だ。


  8月23日、里帰りしている大学の友人を呼び出して一日市内観光のガイドをしてもらう。持つべきは友だなあ。久しぶりに自転車を降りて

歩きまわった。市電の一日乗車券で結構観光が出来る。グラバー邸やら出島など色々と廻った。そして、お昼は友人の紹介で長崎名物の

贅沢な物を安く食べることができた。今晩のユースホステルは宿泊人数も多く夜のミーティングは結構にぎやかに盛上がった。

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  8月24日、早朝にいきなり背中を蹴り飛ばされてビックリして目が覚める。ここは相部屋の雑魚寝だったので隣の寝ていた人からいきなり

蹴りを入れられたのだ。

 「痛ててててっ・・・。」彼は足を抱えて転げまわっていた。

 「足が攣った!」どうやらこむらがえりになったみたいだ。どうやら対処のしかたを知らないらしい。そこで、「うつむきになってつま先を立てて

アキレス腱を延ばして。」とアドバイスをするとやっと落ち着いた。話を聞くと前日に長崎市内を歩き廻ったためにこむらがえりになってしまったみたいだ。

私はとんだ蹴られ損の被害者になってしまった。

 実は前日たまっていた洗濯物をここのユースホステルで洗うことにしたのだが、洗剤の持ち合わせがなくて困っていたところ東京から来たという

Yさんから洗剤を分けて貰った。Yさんは我々よりも一年先輩の東京の大学生で、なんと東京から自転車で走ってきたという。すごいなあ。

 今日はYさんも熊本に向かうというので三人道中となった。Yさんの自転車は有名メーカーの大量生産品、悪く言えば安物なので車体も

重く軽快に走れる代物じゃあない。それなのに東京から長崎まで乗ってきたというのは驚くべき事だ。(少し大げさかなあ。)

 今日は天気も快晴で3人でべらべらと話しながら走った。2人旅だと何日もすると話題も少なくなるし、特にここしばらくは雨続きだったから

憂鬱な旅だったのが久しぶりに楽しいツーリングになった。

 諫早市を通り抜け島原半島へと向かう。海岸線の道を走ってやがて多比良港に着いた。ここからフェリーに乗って熊本の長洲港へ渡った。

 長洲から走り出したのだが、今日は余りにも暑い。途中の店でよく冷えたスイカを1玉買って3人で分けて食べる事にした。ところがそのスイカは

けっこう大玉で食べても食べても無くならない。やっと完食したときにはお腹がたっぷんたっぷんになってしまった。

 熊本市内に入ってから熊本城に行きお城見学をした。ここは立派な天守閣がそびえ建っていた。ただし、入場料がかかるので外からしか

観賞しなかったが。

 ユースホステルに宿泊するというYさんとはここで別れる事になった。

(実はこのYさんとは1年後の東北ツーリングの時に偶然劇的な再会をしたのだった。その決めてになったのは彼の乗っていた自転車だった)

 Yさんと別れた我々は熊本に里帰りしている大学の友人宅にお世話になることになった。この旅に出る前に頼んでおいたのである。

ずうずしい我々に友人宅の人は歓迎してくれて夕食までご馳走になった。さらにずうずしい事にビールやお酒まで頂いた。


8月25日、友人の案内で水前寺公園を散策した。10分くらい歩いて公園を1周した。もっと広いイメージがあったのだがね。

10時にお世話になった友人宅を出発して阿蘇に向かった。また二人旅だ。

 ゆるやかな登り道がだらだらと続く。U君は自分の後にぴったりと追走していた。本人曰わく「段々としんどいのが慣れてきた。」だそうだ。

 そうそうその苦しみが快感に変わった時が真のサイクリストになる時なのですよ。

(けっしてMじゃあないよ。)

  大津町を通って道は緩やかながら登っている。長陽村から赤水を過ぎ、黒川から右折していよいよ阿蘇登山有料道路に入った。

自転車の通行料は80円だった。道はさらに厳しくなる。

「お金を払っているのに何でこんなにシンドイ目にあわないかんねん。」

って、U君がぼやく。私もまったくその通りだと頷いた。

 必死になって2時間かけて山頂まで登った。しかし、霧がかかっていて視界は悪くかった。しばらく山頂付近をウロウロした後にユースホステルに

向けて登山道を降りた。

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8月26日、ユースホステルを出発してから一の宮町を通っていよいよ大分県だ。

 竹田市に入って「荒城の月」で有名な竹田城を見学していると、自転車で一人旅の女性サイクリストに出会った。色々話を聞いてみると

彼女も大学生で我々と同じ関西から来たらしい。それもほとんど宿泊はお金を掛けずに民家に泊めてもらっているみたいだ。それも凄い!

我々の今夜の宿泊先が大分県の私の親戚の家にお世話になると言うと、なんと着いて行ってお泊まり交渉をしたいとの事。さすがに

私は焦って丁重にお断りをした。もし、女の子なんて親戚の家に連れて行ったら親戚中何て言われるかわかった物じゃあない。

彼女は未練がましくしていたが、我々は逃げるようにその場を立ち去った。

 犬飼町を通って臼杵しに入ってから、臼杵の磨崖仏(まがいぶつ)を見学した。ここは崖に色々な石仏が彫っている。特に首がぽろりと

落ちた大きな大日如来像は見事なものだ。

 臼杵市内にある親戚の家に到着して1泊お世話になる。臼杵には先祖代々のお墓があるので一人でお墓まいりをしてきた。

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8月27日、今回のツーリングの最終日だ。今日は臼杵から佐賀関半島を横断して、別府のフェリー乗り場まで行けばいいので、のんびりと

親戚の家で過ごしてお昼ご飯をご馳走になってから出発した。

 午後4時頃には別府のフェリー乗り場に到着した。乗船時間までのあいだ荷物になるので途中ではほとんど買わなかったお土産を別府で

色々と買った。 フェリーに乗り込んで、来る時とちがって2人だけの祝杯になったがビールで乾杯した。U君はここまでよく着いてこられたものだ。

というよりもたくましくなったものだ。

また機会があったら彼と旅をしたいものだなあ、と思った。(彼はどう思っているかは知らないが・・・。)               (了)

     なつかしのサイクル日記



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