風に吹かれて 雲に誘われて

四万十川にあこがれて


2006年10月15日















 フルマラソンを何度か完走出来たときに、偶然にTVで視たのがこの「四万十川ウルトラマラソン」でした。
最初は100キロマラソンなど自分にはほど遠い別世界の事だと思っていたのですが、段々と見入ってしまい、最後にはこの四万十川マラソンにすごくあごがれをいだいてしまいました。 私がウルトラマラソンを始めるきっかけになった大会です。この完走記は4回目の参加の時のものです。


 ひと筋の真っ暗な道を松明の火が照らし出している。どこまでも、どこまでも続いているかの様な錯覚におちいる。いや、この道はどこまでも続いているのだ、少なくとも100キロ先のゴールまでは。
 四万十川100キロマラソンは今回で4回目の参加だ。たまたまTVで四万十川ウルトラマラソンの放送を見から「いつかはここを走りたい!」とあこがれを抱きウルトラマラソンに挑戦することになった。そして3年前の2003年に初めてここに参加して何とか感動のゴールが出来た。それ以来今まで2勝1敗、しかも去年は胃痛に襲われて62キロのエイドで1時間も横になっていたために70キロで時間切れで収容バスに拾われてしまった。今年は大丈夫だろうか・・・。

 午前5時すぎ。多くのウルトラランナー達がスタート地点のここ、蕨岡中学校まえに集まってきた。気温はかなり低くいはずだが、1800人の熱気によって寒く感じなかった。

「さあ今日1日、思いっきり楽しむぞ!」
と心の中で叫んで気合いを入れる。
5時30分に号砲と共に100キロの部の約1500人のランナーがスタートした。

まだ暗い道を松明の明かりに導かれて走る何とも幻想的な世界だ。
松明が無くなると、途中、途中でボランティアの人達の車やバイクのヘッドライトが行く道を照らしてくれる。朝早くから沿道の応援には頭が下がる。

普段はゆっくりしか走れない自分が周りのペースに流されて1キロ6分で走っている。
このままでは最後までもつ筈がないのでペースダウンしたいのだが、それが出来ない。

 10キロを過ぎたあたりから段々と登り坂になってきてペースも少しずつ落ちてきた。
13キロから坂道がきつくなってきた。15キロすぎ、いよいよ本格的な山道になる。
細かくピッチを踏んで汗をかきながら粘る。

18キロ、山の下のつづら道を見渡すと「ここまで登ってきたんだ」と感動する。
19キロすぎ、後2キロ、20キロすぎ、後1キロ、峠までの距離のことしか頭に浮かばない。

21キロを過ぎてエイドステーションが見えてきた。ここで給水と給食をとればもうそこが峠だ。この大会の最大の難関を越えた。ここまで2時間25分、ほぼキ1ロ7分のペースだ。
この坂道を考えれば出来すぎだ。

 ここからいよいよ長い下り坂。登り道以上に気を遣う。
走りやすいので時間を稼ぐにはチャンスだがその分リスクも高い。
自分でも十分に分っているのだが、今年も失敗してしまった。
30キロ地点、調子に乗って気持ち良く走っていたのだが、突然左足首と甲に痛みがはしった。「しまった!」と思ったがもう後の祭りだった。
後はこの痛みとどう付き合うかだ。案の定、30キロからガクンとペースが落ちた。

 33キロ、ついに四万十川と合流する。
雄大な流れにしばらく疲れと痛みから開放される。
四万十川の向こうにトロッコ列車が走る。

 昭和大橋を渡って連動の応援を受けてからやっと41キロすぎのエイドステーションに到着した。ここは60キロの部との合流地点だ。ここまでほぼ5時間。少しかかりすぎたために60キロのランナーはとっくに通り過ぎた後だった。


 ヘトヘトになってやっと50キロを過ぎて一つ目の沈下橋を渡る。この橋は往復するので行き交うランナーで何だか楽しい。
四万十川の心地の良いホットした一時もこのすぐ後に待っていた
峠ですっとんでしまった。さすがに朝の21キロ地点の峠とは較べ物にはならないが疲れた足には堪えた。そして下り道。足の痛みがピークを迎える。

 峠を下り終ったら去年までは川沿いの木陰の多い気持の良いコースを走っていたのだが今年は山林崩落の影響でコース変更がされていて、対岸の日陰のほとんど望めない広い車道を走った。この間一番、暑くて苦しくやたらと水を飲んだ。



 この道の沿道で毎年オカリナを吹いて応援してくれる人がいる。感謝、感謝で元気をもらう。

 62キロのレストステーションカヌー館にたどりついた時は8時間が過ぎていた。おにぎりを1個食べてから疲れを押し殺してすぐに出発した。出発してすぐコーラを片手に少し歩いていると徐々に疲労が回復してきた。1キロほど歩いたらランを復活することが出来た。これからは関門時間との勝負だ。

 70キロ過ぎ、岩間の沈下橋を渡る。川風が心地よい。

 71.4キロ関門(10時間11分)・・・9時間30分

ここではすでに回収バスが待機していて、あきらめたランナーを乗せていた。
「足は痛むがまだまだいくぞ!」と誓う。
関門をクリアしたら再びコーラを飲みながら1キロ程歩きながら回復を待つ。


 79.5キロ関門(11時間15分)・・・10時間50分

 82キロに名物の私設のエイドステーションがあり、地元の特産の料理が並ぶが水分の取りすぎでとても食べられなかった。残念・・・。
もうここからはゆっくりでも走り通すしかない。


 86.9キロ関門(12時間19分)・・・11時間53分

 ここも何とか間に合った。ふうっ・・・。
黄昏の四万十川が美しい。
でも、感慨にふけっている時間はない。

 94.1キロ関門(13時間17分)・・・13時間3分

 残り6キロ、あたりは真っ暗だ。
やっと完走できる見込みが出てきた。
でも油断は禁物だ。ここで歩いたら終わりだ。
あと6キロ、されど6キロ・・・。
しかも、結構な山道だ。沿道の応援にはげまされ、しばらく足の痛みは忘れる事にした。

 あと2キロ、街並が見えてきた。応援が多くなりみんなに最後の元気をもらう。
紙吹雪の道を通る抜けて中村高校の校門をくぐって時に思わず込み上げてきた。
でも、鳴き顔でゴールするのはいやなので、無理やりに笑顔をつくった。

 ゴール(制限14時間)・・・13時間54分

 6分前にゴールできた。また込み上げてきて笑顔が思わず崩れそうになるが
フィニッシャーメダルをかけてもらうと再び笑顔がもどった。
今回は足の痛みもあって途中で何度もあきらめかけてので
この完走はひとしおに嬉しかった。



  四万十川100キロウルトラマラソン完走記

   完 走 記


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