2009年10月18日 |
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去年は5年連続で抽選にあたっていたのに初めて落選したために参戦できませんでした。そして2年ぶりの参加です。 最近のマラソンブームはウルトラマラソンの世界に三影響しているみたいで、今年の当選率は約2倍だそうです。しかも、2年前の参加したときには血尿がでて62キロのカヌー館でリタイヤしているためにその事をふまえても頑張らなければいけなかったのですが、1ヶ月まえに「丹後100キロマラソン」を6年ぶりにリベンジしたのですっかり燃え尽き症候群になってしまいした。あの厳しかった丹後を完走できたのだからここは何とかなるだろう、と甘い考えで参加したことは否めなせんでした。ところが・・・。 安並運動公園の体育館で受付を済ませて、いつものように地元の中学生が絵を描いた四万十川の石をもらいにテーブルに行くと赤橋にガンバレと書かれていた物に目がいきました。他の作品も色々と見て回ったのですがやはりそれが気になって、結局持ち帰りました。いつもは結構迷うのですがなぜか今回はあっさりと決まりました。
今晩の宿は四万十川の下流にある「四万十の宿」です。ここは温泉設備もありスタート地点の蕨岡中学校まで車で15分ほどの距離なのでとても便利です。数年前までは穴場的存在だったのですが、最近は早く予約をしないと取れなくなってきました。 そして、ここのもう一つの楽しみはオプションなのですが屋形船に乗って遊覧しながら夕食が取れるというものです。屋形船のオプションといってもそんなに高い物ではなく宿泊費に1000円ほどの追加でこの贅沢ができるのなら儲けものです。宿の人達と相乗りのはずなのですが、あまり知られていなのかいつも私たち家族の貸し切り状態でのんびりと楽しんでいます。 翌日、いよいよレース本番です。午前5時すぎに従姉妹にスタート地点の蕨岡中学校まで車で送って貰いました。空は満天の星です。こんなに綺麗で見事な星空を見上げたのは久しぶりでした。そういえば、数年前の萩往還の時に見事な夜空を見あげて感動したことが思い出されました。 いよいよスタート時間が近づきスタートの道路の方に移動しました。そのあいだ神戸から来られたアムラーさんとお話をさせて頂きました。その方はサブテンが目標だとか、凄い! 15キロすぎからいよいよ本格的な山道になってきます。道は川沿いに走るとても気持ちの良いコースです。
昭和大橋の手前のエイドステーションでアンパンマンの顔の絵を描いた石がいくつか置いていました。何だろうと思っていたらスタッフの人が 橋を中学生達とハイタッチしながら渡るとバスツアーの応援団が待ちかまえてくれていました。皆さんに大いに元気を頂きました、と言いたいところなのですがなぜか胸の下、横隔膜のあたりが痛み出してペースが落ちてきました。痛みが収まるまで我慢だと思ってゆっくりと走っていると後ろからアムラーのYさんが声に掛けて頂きました。リュックにアムラーのバンダナを付けていたのでその後も多くのアムラーさんから声を掛けて頂きました。 53キロのエイドに着いたときに右足外側の付け根あたり、腰から少し下のあたりが痛み出しました。椅子に腰掛けてマッサージをすると少し収まったので出発しました。 川の方に降りると一つ目の沈下橋、半家の沈下橋が見えてきました。橋の上を走っていると川面の風が強いので帽子が飛ばされそうになりました。でも、心地良かったです。 橋を往復してしばらく行くと2つ目の峠に向かいます。道は段々と登りになってきました。すると収まっていた足がまた痛み出しました。しかし、不思議なことに横隔膜あたりの痛みは治まっていました。 当然走れなくなって今回初めての歩きになってしまいました。予定ではここでも頑張って走るつもりだったのですがそんな気力は残っていません。 堂ヶ森の峠とは比べようがないほどあっけなく峠にたどり着いたのですが、足が痛くてここでも少し休憩してマッサージをしました。そうしたら下りは結構順調に走ることが出来ました。 峠を下り終えて橋を渡り対岸の道を走っていくといつもここでオカリナを吹いて応援してくれる人がいました。私が通過したときは「涙そうそう」を吹いていました。 下り道で無理をしたのか再び足が痛み出しました。エイドにたどり着いてまた椅子に座ってマッサージです。すると痛みがまた少し収まるので5分ほど休んで出発しました。段々と不安になってきました。 ふっと、四万十川を見ると沈下橋が見えてきました。よく見ると橋の一部が欠落していました。何だか今の自分の気持ちと重なるような気がしてきました。(8月の台風の影響だったそうです) 62キロのレストステーションカヌー館に13時20分に到着しました。スタートからほぼ8時間かかっています。もうぼろぼろです。鮭入りのおにぎりとお味噌汁を階段に座って頂きました。食べ終わったらすぐに出発したかったのですが、痛めて足をマッサージしながら休憩していました。 心が折れそうになったのですが、復活を信じて20分休憩した後でやっと出発しました。関門時間1時間前でした。 しばらく鬱々と走っているとまたアムラーさんから声を掛けて頂きました。私が足をおさえながら走っているのをみて、 「あきらめないで頑張って下さいね。」と言って頂きました。 岩間の沈下橋を渡ってようやく70キロに到達したのが14時45分です。 そして71.4キロ関門(10時間11分)に15時(9時間30分)に到着しました。余裕は40分しかありません。 ここには回収バスが待機していて数人のランナーが乗っていました。思わずそちらに気持ちが行きかけたのですが最後までそして回収されるまであきらめないで粘ろうと気持ちを持ち直しました。 ここのエイドで大阪ミントのフクさんと写真を取り合って元気をわけてもらいました。 沿道で顔を赤らめたおじさん達から、 「頑張らにゃあ間に合わんぜよ!」と声を掛けられたので、 「ビールがないので元気が出ないのですよ。」と答えると 「ここにあるぞ〜」と缶ビールを高らかに持ち上げられたので、 思わず引き返そうになったのをかろうじて押さえて 「ありがとう!」と手を挙げて通り過ぎました。 79.5キロ関門(11時間15分)に16時間20分(10時間50分)に到着、余裕は25分です。 やっとお待ちかねの82キロにある名物の私設のエイドステーションに到着しました。ここには地元の特産の料理がずらりと並びビールも置いてありました。 ボランティアの人にビールをついでもらいながら 「ここが目標で走っていたのですよ。」 「それは有り難うございます。頑張って下さいね。」 「いやあ、もうここでゆっくり飲めるのならリタイヤしたいくらいですよ。」と笑いながら答えたのですが、かなり本心でした。 鯖寿司をつまみながらビールをお代わりして2杯飲んだらかなり元気が出てきました。クタクタでもうどんなドリンクも受け付けない状態だったのですがビールだけは最高の復活剤ですね。 後ろ髪を引かれる思いで、エイドを出て大きな声でと思ったのですが恥ずかしいので小声で 「エネルギー充填120パーセント、復活!」と叫びました。 するとペースがグングンと上がってきました。(と言っても1キロ6分程度ですが) この辺になると歩いているランナーも結構いて、その人達をどんどんと抜いて行くことができました。それからゆっくり走っているランナーも何人も抜く事が出来ました。 不思議な事に足の痛みも我慢する事が出来て、エイドも2つは止まらずに通過する事が出来ました。アルコールで麻痺していたのでしょうか? 86.9キロ関門(12時間19分)に17時(11時間30分)に到着して余裕は50分に回復しました。 90キロを過ぎると復活していたペースががくんと落ちてきました。やっと完走の希望が出てきたと思っていたら急に足の痛みがぶり返してきました。それも強烈にです。 再びエイドごとで休んでマッサージをしながら走ったのですが、今度は次のエイドまで持ちません。道路の縁石に腰掛けてマッサージ、走って歩いて止まってマッサージ、また少し走ってやっぱり歩いて止まって・・・。 痛みは段々と治まらなくなってきました。 「やはりビール復活で無理に走ったのが悪かったのか・・・。」と気持ちが重くなりました。 辺りは段々と黄昏ていきます。夕日に光る四万十川が綺麗だと思うのですが、それを楽しむ余裕はなくなってしまいました。。 94.1キロ関門(13時間17分)無事通過、しかし時間を記録したり計算している余裕はありませんでした。でも、確か関門まで30分ほどだったと思います。 残り6キロ、辺りは真っ暗です。スタッフの車のヘッドライトが道を照らしてくれます。 何とか走ろうと思うのですが痛くて続きません。しばらく立ち止まってマッサージそして走り出す、その繰り返しです。そのうちに水分の取りすぎで気分が悪くなってきました。エイドで休んで走り出そうとしてもボロボロ状態で気持ちにまったく余裕がありません。しかも、道は登り道になってきました。 「あと3.1キロです。」と言うスタッフの声に元気が出てきました。なぜかというと3.1キロと聞いた所から少し走ったら97キロ表示がありました。そうするとこの距離が100メートルかあ、と思いそれならば次の照明までが100メートルくらいだからあと2.9キロ。次に車が止まっているここまでがだいたい200メートルだからあと2.7キロだと自分でカウントダウンしていきました。そうすることによって苦しさと痛さを紛らしたのです。 あと2キロ、しかしむかつきが我慢できなくなってきました。意を決して道の隅によって喉に指をつっこんで吐きました。しかし、空えづきで苦しいだけでした。しかもめまいがして倒れそうになりました。しかし、気を取り直してくらくらになりながら歩き出すと徐々に気分が軽くなってきてむかつきもなくなりました。後は最後の力を振り絞って走るだけです。 街に出ました。あと1.3キロで最後の厳しい坂道が待っていました。しかしなぜか復活して走っています。 いよいよ1キロ、走っている自分が自分でないみたいです。 「お帰りなさい、お帰りなさい!」の大声援です。 足の痛みは痺れに変わっていますが、今は後回しです。いつもに増して気持が高ぶっています。やはり完走出来ることは嬉しい・・・。素直に思いました。 やがて、中村高校の校門をくぐって途中で多くの人達とハイタッチをしながらゴールに向かいました。 ゴール・・・13時間48分 12分前のゴールでした。今回は足の痛みで何度もリタイヤを考えた本当に辛いレースになってしまいました。心の片隅で丹後の余韻で余裕を持って完走出来るなんて甘い考えもあったのだと思います。しかし、100キロマラソンはそんなに甘い物ではないと思い知らされました。 どこかから、 「四万十川をなめたいかんぜよ!」 と叱咤され激励されてような気がしてきました。 <了> ウェブアルバム http://picasaweb.google.co.jp/huraibourunner/GXcSfH# 四万十川100キロウルトラマラソン完走記 完 走 記 |
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